35mm 凡庸者の可能性

2024.02.01PHOTOGRAPH and WOLF

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

やろうと思えば何でもできる。想像できることは概ね実現できる。そういう精神論は理想や願望であって現実は違うんだという年寄りの戯言を、若者は決して受け入れてはいけない。年寄りというのは往々にして自分の不甲斐なさを若者に押し付けたがるものなのだ。ただし「何でもできる」には条件があって、それは「身の丈に合った」ということに限られる。例えば、人は鳥のように羽を生やして大空を飛ぶことはできない。それはどう願っても実現することはできない。だが、飛行機をつくって世界中を飛び回ることはできる。あくまで「身の丈にあった」自由ではあるが、飛行機に乗って「空を飛べる」のだから昔を思えば異次元の話である。可能性というのは我々が思う以上に広いのだ。

35mmは汎用性の高い焦点距離だ。50mmと同じく「標準レンズ」と呼ばれるこの画角は、写真撮りなら誰でも持っている、あるいは初めに手にする一般的なレンズである。予め撮るものが決まっていない日常使いでは抜群に使いやすい画角だが、汎用性が高いだけに安心、かつ普通、かつ平凡、そして物足りないと感じやすいのが35mmだ。50mmのような大きなボケはなく、28mmのようなワイド感は得られない。だからこそ汎用性が高いわけだか、よーし写真撮ったるぞーと目をギラギラさせて撮影するときに選ぶ焦点距離ではない。35mmの良さは、35mmの残念なところでもある。いつだって何だって、メリットとデメリットは表裏一体なのだ。妻と出かける時と犬の散歩の時は35mmの出番が多いが、1人で写真を撮りに出かけるときには35mmではなく50mm、あるいは50mmと15mm、90mmと21mmといったレンズを持ち出すことが多い。よーし撮るぞ、というモードでは選ばないレンズ、それが35mmなのだ。

SONY α7R3 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

SONY α7R3 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

普通で無難で優しい人がそうであるように、35mmのレンズも「軽んじられる」傾向がある。だがじっくり考えてみると、35mmには意外とバカにできない魅力がある。寄って撮ればファンタジーのような世界を描き、引いて撮れば淀みない描写を発揮してくれる。開放近くで撮ってトリミングすれば50mmのようなボケ味をつくれるし、50mmでは表現しにくいワイド感も期待できる。時には暗殺者のように冷たく、時には赤子を抱く母のような温もりのある表現で応えてくれる。優しそうな風貌の内側には、とんでもないポテンシャルを秘めているのが35mmなのである。

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

50mmと28mmの中間にあって、どちらのニュアンスも少しずつ味わえるのが35mmという画角だ。そう言えば、こういう「どっちつかず」な人、物、現象を毛嫌いしていた時期があった。AでもありBでもある。対立した意見が出たときには「間をとって折衷案」でいきましょう。そういうのは往々にして主張に欠け、無責任で、誰も幸せにならない。失敗を恐れると人は中庸になっていく。「どっちつかず」な人がいると迷わず今日すぐに死ねと思ったし、自分の中にあるそういう傾向も嫌いだった。何事も即断即決して自分はこういう人間だと表明できるよう努力した。しかし、世界が少しずつ見えてくると、自分がこよなく普通で凡庸で「どっちつかず」な人間だと気づいてしまうのだ。極端な考え方に振り切れるわけでもなく、かと言ってものすごく保守的に考えることもできない。遠くのものが撮れる望遠でなく、世界を広く捉える広角でもない、つまり35mmと同じなのである。

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

SONY α7R3 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

日本人の「普通」を求める傾向は根深い。飛び抜けた能力は「普通」を否定することから生まれるから、「普通」を求める我々は秀でたものを手に入れにくい体質を持っているとも言える。だが、自分が生まれも育ちも凡庸だとしても、凡庸ながらにできることはたくさんある。起業してたくさんの社員を抱える社長になったり、ファッションモデルになってパリコレに出たり。給料で暮らしている人が「私は特別な能力がないから起業なんてできない」と言うが、独立して仕事をはじめたほとんどの人が普通で平凡な人なのだ。僕のことを言えばデザイナーとしては自画自賛できるレベルではあるが、困ったことにビジネスセンスがあまりよろしくない。クリエイターにありがちな話だが商売が下手なのである。だから、通販を立ち上げてからまともな商売になるまで10年近くかかった。10年もかかるのぅ?と若い人は言うだろう。いいや、10年あれば大体のものは手に入るんだよキミィ、とオジサンはダンディーに言いたい。凡庸な人間は何を手に入れるにしても時間がかかる。だが、あせらず時間をかければいいのだから、ある意味「何でもできる」と考えてもいいだろう。ただし、高齢になってしまったら時間に限りがある。世間でよく言う「何かを始めるのは早い方がいい」というのは、我々のような平凡で凡庸で特別な能力を持っていない人への心優しいアドバイスなのだ。

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

35mmの単焦点レンズを使って写真を撮っていると、場面によっては中望遠を持ってきとけばよかったとか広角ならもっとこうとか、そういう思いに駆られることがある。撮りたい写真の雰囲気に35mmの焦点距離が合っていないということが原因でもあるが、実は35mmの凡庸さに引きずられているんじゃないかと思う。そういうときにお薦めなのがマクロ撮影だ。最近使っているVoigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2(VMマウント)は最短撮影距離が58cmで、明らかにマクロ向きなレンズではないが、レンズの先にクローズアップレンズをつけると被写体にぐっと近づいて撮ることができる。よく使うのはケンコーのPRO1D ACクローズアップレンズ No.3で、それでも足りないときにはNo.2を2枚重ねするといった具合で調整する。広角以外の持っているライカMマウントレンズには、フィルター径を49mmにするステップアップリングをフード代わりに常時つけているので、クローズアップレンズの脱着は割りとスムーズだ。35mmでのマクロ撮影は、歪みもあるせいか50mmとはニュアンスがちょっと違う。凡庸で日常的な焦点距離で、非日常的な世界を描くのはとても面白い。

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

SONY α7R3 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

35mmのレンズは、なかなか奥が深い。たくさん撮ってきた焦点距離だが、僕はまだ35mmのポテンシャルをわかっていない気がする。もちろん使うレンズによって違ってくるが、50mmや広角と違って汎用性以外の良さが少々わかりにくいように思う。じっくり写真を撮って35mmの良さを脳と体に染み込ませたい。そう思って撮っていけば、あとは時間の問題だ。

SONY α7R3 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

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