常識と非常識の選択

2019.04.13PHOTOGRAPH and WOLF

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8 作例01

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

タクマーという名前のレンズが好きだ。オールドレンズの王道的レンズで、中古カメラ店でやたらめったら見かける安物レンズだ。M42マウントという古めかしい規格のこのレンズは、アダプターをつけることで現代のデジタルカメラで使うことができる。世間の皆さまはどんなカメラでこのレンズを使うのだろう?僕はカメラをα7R2からライカに変えても、このレンズは使い続けることにした。PENTAX Super Takumar 55mm F1.8は、目を見張るほどの特徴を持たないレンズかもしれない。それでも、ほどよいオールド感、余分なディテールを拾わない省略の仕方、一眼レフのレンズにしては軽量でコンパクトなところが、僕のツボにはまっている。きれい過ぎない。でもその気になればきれいに撮れんだぞ、というレンズだと思う。このレンズを買うのに7,000円しか払っていないのは、申し訳ないくらいだ。居酒屋に入ってダラダラ飲んでそれじゃあ1人7,000円ね、というのと同等の価値とは到底思えない。

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8 作例02

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8 作例03

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8 作例04

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

タクマーは外付けビューファインダーと一緒に使うとして、レンジファインダーで使えるライカMマウントの50mmをどうするか?軽くて、ストイックで、シルバーで、という条件で、ZEISS Planar T*2/50 ZMを使うことにした。もちろんズミクロンやズミルックスという選択もあったが、できれば日本製のレンズを使いたいという安っぽい大和魂がコシナのツァイスを選んだ。このレンズもタクマーと同様、世間の評価はあまり高くないようだ。しかし何枚か撮ってみると想像通りの安定感で、すぐに手に馴染んだ。画質のピークと言われる絞りF8では抜群の画力を発揮して、格闘家のように強く頼もしいレンズだと思った。最近視力が落ちてきた自分を労り、レンジファインダーを拡大表示するマグニファイヤーと合わせてプラナーを使う。

LEICA M Typ240 / ZEISS Planar T*2/50 ZM 作例01

LEICA M Typ240 / ZEISS Planar T*2/50 ZM

LEICA M Typ240 / ZEISS Planar T*2/50 ZM 作例02

LEICA M Typ240 / ZEISS Planar T*2/50 ZM

LEICA M Typ240 / ZEISS Planar T*2/50 ZM 作例03

LEICA M Typ240 / ZEISS Planar T*2/50 ZM

LEICA M Typ240 / ZEISS Planar T*2/50 ZM 作例04

LEICA M Typ240 / ZEISS Planar T*2/50 ZM

ライカMというカメラに、ライカ以外のレンズを使うことは、ライカファンの皆さんにはちょっとした「非常識」かもしれない。Mマウントを多数世に出しているコシナのレンズならまだしも、アダプターをつけてタクマーを使うなんて、と。別にマイノリティーを意識しているわけでもなく、ライカ製のレンズを避けているわけでもなく、使いたいものを使うだけだ。どうもこの国では大した根拠もなく生まれた「常識」という概念が正義のように扱われることが多い。「とんかつにはソースでしょ」といった些細なことから「死んだ後の話は不謹慎でしょ」といった倫理観まで、無数の常識が世の中にはびこっている。その多くは祖先からの単なる引き継ぎもしくは多数決の産物であることに、多くの人は気づかない。ほとんどの「常識」はびっくりするくらい薄っぺらな理由によって定義されているのに、普通、そして平均的であることが正義とされる日本では、「常識」を重んじる精神性が強い気がする。そして、そうでないことを「非常識」と呼んでいる。

そういえば子供の頃、人の嫌がる悪戯ばかりしていて、小学生なのに主婦にような顔つきの女の子に「信じられない!非常識よ!」と罵倒されたことがあった。僅かな記憶を辿っても、ケタケタ笑いながら他人のものを平気で壊したりする非道な少年だった。しかし、今思えば彼女の非難の言葉は正確ではない。本当は「非常識」ではなく「不道徳」と言うべきなのだ。常識という言葉は、どうも我々日本人には絶対的な善という風に心に響いてしまう。常識の実態は流動的かつ曖昧なものなのに。例えば、成功例を持たない非常識は知識が足りないとバカにされてしまうが、予想以上の成功を収めると「革命的」と称賛されたりもする。歴史のページを少しばかりめくってみると、多くの改革や発明は当時の非常識からはじまっていることがわかる。

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8 作例05

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

いつだったか、同じ業界の先輩が「カメラとレンズは同等の値段のものを使った方がいい」と言っていたのを憶えている。しかし、僕はそういうセオリーを無視するのが大好きなので、ライカというバカ高いカメラに比較的安値のレンズをつけて普通に楽しめる。脳ミソまで筋力がありそうな長渕剛が30年ほど前にこう歌っている。「つまらぬこだわりは身を縮めるだけだった」と。常に流動的な世の中の常識を自分の価値観の中心に据えてしまったら、楽しいと感じる感性がいつの間にか萎えていくだろう。

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