脳と体で撮る写真
2021.05.11PHOTOGRAPH and WOLF写真を夢中になって撮っていると度々思わぬ発見があるのが面白い。写真に限らず何かに夢中になってそれに集中し、深く追い求めていくことで重要なことにたどり着くことがある。視野と知識を拡げると世界を客観的に知ることができる。何かに夢中になるのはまったく逆の行為で、視野も考え方も狭くなってしまいそうだが、不思議なことにこの行為もまた世界を知ることができるのだ。広く浅くではなく、狭く深く。1つのことを掘り下げて考え何度も何度もしつこく取り組むことで、いままで見えてなかったものが見えるようになる。
写真を撮ることが好きな人は、大抵写真を撮る道具も好きだ。僕もそうだが、あのカメラがいい、このレンズは最高だ、とかそういうのを延々と話せるようになってしまう。特にレンズについては、異なるマウントを横断できるマウントアダプターという便利なものがあるせいで使えるレンズの選択肢が膨大な数になり、アレも使ってみたい、コレもいいんじゃない?と、まったくもってキリがないのである。ちょっと気になるとインターネットで重さやサイズや作例を調べだし、素人が撮った写真じゃちょっとわかんねぇな、100枚くらい自分で撮ってみねえとわかんねぇな、とりあえず買ってみるかポチ、という感じでキリがないのである。僕がこのサイトで並べている写真もそうだが、人が撮った写真というのが参考になりそうで案外そうでもない。道具となるレンズのクセやスペックは同じでも撮る人がうまいとレンズもよく見えるし、そうでないと平凡なレンズに思えてしまうからだ。撮影機材は人の種類も分けてしまう。写真がうまいと人が好む機材とそうでない人が好む機材があって、WEB上でのレビューはそういうことを前提に読み取らないといけない。例えば中判カメラの作例がよかったりするのは、中判カメラを使う人が写真を撮るのが上手なだけかもしれない。M型ライカを使う人のレビューで暗いものやピントが甘い写真が多いが、ライカで撮ると暗く写るわけでもなく、必ずしもピントが甘くなるわけでもない。解像感があって、シャープで、立体感があって、色味がよくて、よく写る、といった言葉もどこかの受け売りのようで正直よくわからない。だから結局のところ、自分で使ってみないとわからないわけで「あの女のコと1回寝てみたい」という男の性欲と同じで、キリがないのである。
小ぶりなレンズが好きでライカMマウントのレンズを中心に使っている。超広角のヘリアー15mmを買って、持っているレンズもいい顔ぶれが揃ってきた。カメラやレンズが沢山あり過ぎても疲れてしまう。必要なメンツが揃っていればそれでいい。そんな中、今年使いはじめたMDロッコール50mmがなかなか良くて、ミノルタSRマウントが「こっちへおいで」と誘いかけている。やれやれ、である。PENTAX auto110」は少し前にメルカリで買った変わり種で、これはおもちゃのように小さなレンズだがマイクロフォーサーズのセンサーにマッチする。
中国製のアダプターを介してPEN-Fにつけると、奇妙な存在感を放つ豆レンズだ。こんなに小さなレンズなのに、撮ってみると割とまともに撮れてしまうのが難点といえば難点で、拍子抜けするほど普通に撮れてしまう。このレンズを使ってどうにか個性的な写真が撮れないだろうかと考え、PEN-Fと組み合わせて少し変わった撮り方にたどり着いた。
なめらかで柔らかなトーン、ディテールが吹き飛んだ強烈な破綻。この撮影方法で撮ると、何を撮っても消えかけた記憶のようだ。あるいは、心の奥にしまわれた記憶を時を経て取り出したような、そんなトーンだ。撮影経験豊富な人なら、どういう撮り方をしているのか想像できるかもしれない。収差や欠落を意図的につくり出す撮り方で、被写界深度やピント位置はレンズやカメラではなく、自分の指先でつくっていく。長く撮っていると指が痛くなるし、力んでいると首も痛くなる。イレギュラーな撮り方なので、カメラも少々痛む。しかし、その写真は実に魅力的だ。いやぁ、写真って本当に面白いな。そうため息をつくと同時に、無意識に育ててきたささやかな拘りが、カラカラと乾いた音を立てて崩れていく。あのカメラが…このレンズが… というのがどうでもよくなる、そんな体験だ。
科学者やエンジニアたちがあまり深く考えずに夢中になっているAI技術が、そのうち人の仕事や楽しみを根こそぎ奪ってしまう。写真を撮ることも、テクノロジーが人をサポートするのではなく、人がテクノロジーをフォローする時代になってきた。努力と経験を重ねてようやく手に入る技術が、テクノロジーによって誰でも簡単に手に入る現代だ。ジジイが酒を飲んでそれを嘆くのも結構だが、できればそういうことに振り回されずに生きていたい。テクノロジーを使って誰でも簡単にできてしまうものは、どうしても脳を退化させてしまう。写真を撮るのは楽しい。お気に入りのカメラやレンズで撮る写真はとても楽しい。しかし、それ以上に気持ちのいい瞬間が実はある。それは、機材やテクノロジーではなく「自分の脳と体」で撮っていると思える瞬間だ。
このページの撮影機材
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写真集「BLUE heels」
¥1,100 -
写真集「Nostalgia」
¥1,100 -
写真集「植物美術館」
¥1,100 -
写真集「花美 1」
¥1,100 -
写真集「花美 2」
¥1,100 -
写真集「花美 3」
¥1,100
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lens
- LEICA Summicron 50mm F2 1st Collapsible
- Thypoch Eureka 50mm F2
- MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8
- MINOLTA M-Rokkor 40mm F2
- MINOLTA MD Rokkor 50mm F1.4
- Voigtlander SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 Ⅲ
- Voigtlander COLOR-SKOPAR Vintage Line 21mm F3.5
- Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 Ⅱ MC
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 SC
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 E-mount
- Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC
- Voigtlander NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical II MC
- Voigtlander APO-SKOPAR 90mm F2.8
- PENTAX Super Takumar 50mm F1.4
- PENTAX Super Takumar 55mm F1.8
- PENTAX SMC Takumar 200mm F4
- Nikon Nikkor-H Auto 50mm f2
- Nikon Ai Micro-Nikkor 55mm f/2.8S
- CANON 50mm F1.8 Ⅱ
- CANON 100mm F3.5 Ⅱ
- ZEISS Planar T*2/50 ZM
- GIZMON Wtulens 17mm F16
- OLYMPUS M.ZUIKO 12mm F2.0
- OLYMPUS M.ZUIKO 25mm F1.8
- OLYMPUS M.ZUIKO 40-150mm F4.0-5.6R
- LUMIX G VARIO 100-300mm F4.0-5.6 Ⅱ
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