ローコントラストの心情

2020.01.17PHOTOGRAPH and WOLF

SONY α7S / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

強いか弱いかで言えば、強い方がいいに決まっている。強けれはいざというときに、誰かを助けることができるからだ。そういう昭和的ど根性精神そのままに、自分の会社には強そうな動物の名前をつけた。弱いよりも強い方がやはりいい。撮る写真も同じで、無意識のうちにコントラストの強いものになっている。ほんわか、ゆるふわという感じの女子力高めな写真は、女子力高めな男に任せておけばいいのだ。とは言え、時折コントラストの低い表現を自分が欲することもある。

SONY α7S / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

SONY α7S / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

コントラストの低い表現を誘うのは、目の前の情景か?あるいは自分の心持ちか?ペンタックスのオールドレンズ、PENTAX Super Takumar 55mm F1.8は昔のレンズらしく逆光に弱く、フレアが発生して中央が明るくなる。逆光に限らず順光でもフレアがはっきりと出ることもあって、マウントアダプターを使っているからか、個体差なのか、そもそもそういうレンズなのか、理由はよくわからないが要するにレンズの中で光が反射しているということだろう。しっかりと像を捉えたい場合には厄介だが、フレアが大好きな人にとっては愛おしい道具と言えるだろう。僕もタクマー好きの1人として、このフレアが嫌いじゃない。淡いトーンの奥に内に秘めた何かを捉えることができれば、コントラストが低くても「強さ」を持つことができると思う。コントラストが高いとか低いとか、彩度が高いとか低いとか、立体感があるとかないとか、そんなことは結果の一部であって、グッとくる写真を求めるための絶対条件ではない。例えば、風景なら広角レンズのパンフォーカスで、人を撮るなら背景をぼかす、というお決まりの「こうでなくちゃロジック」は、毛深くないと男らしくない、ネイルをしてないと女らしくない、というのと同じようにナンセンスだ。何をどう撮るかという行為において、余計な固定概念はかえって邪魔になる。

SONY α7S / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

SONY α7S / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

SONY α7S / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

コントラストの低い表現をするのに、レンズの持ち味だけに頼るのは限界がある。自然光で撮っても、ライティングして撮っても、自分の求める表現にたどり着くためには、現像の力が必要になると思う。どんなに優れたカメラやレンズで撮っても、中庸につくられたカメラメーカーのオリジナルでは、やはり表現に限界がある。デジタル現像をrawデータから自分の手でやるときには、ただ単にコントラストを下げるだけと強さがなくなってしまうので、ハイライトやシャドーの色合いに気を配る。ちょっとした加減で雰囲気がかなり違うものになってしまうので、少しでも写真をよくしたいと思うなら現像は自分の手でやった方がいいだろう。撮って出し、というのは他人の敷いたレールの上を丁寧に歩く規則大好き日本人の消極的な美意識がもろに露見しているようで恥ずかしい。ほとんどの人が同じようなカメラを買って同じようなものを撮ることになるわけだから、自分らしい写真を実現するためにも、これから写真の仕事を目指す方には撮影と同じくらいの時間と労力を使って現像を学んで欲しい。

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible

SONY α7S / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

繊細さを求めるときだけでなく、心持ちが穏やかだったり、少しノスタルジックなときについついコントラストを低くすることがある。あくまで個人的な傾向だが、コントラストを低くできるときは、心が安定しているときだ。欲望に溢れていたり、迷走している場合に、静的な表現は出てこない。コントラストが低いのに静かな強さに溢れている写真は、一見主張に乏しく、大した感動もなく、さらっと入ってくるくせに、意外と長い時間心に刻まれる。

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