それは いい写真か悪い写真か

2019.08.22PHOTOGRAPH and WOLF

SONY α7S / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

SONY α7S / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

いい写真が撮りたいと漠然と思い描いたって、いい写真が撮れるわけじゃない。そもそも「いい写真」というのは普遍的な価値観で定義することはできない。いいんだか何だかわからない写真が1枚あって、それは誰にとっても価値のない写真であったとしても、誰か1人が心から愛しいと思うなら、きっとそれは「いい写真」だ。逆に多くの人が称賛する写真でも、実際のところその評価は写真以外の要因に支えられていることが多い。ビジネスやコンクールなど、目的があって撮る写真は話が違ってくるが、どういう写真がいい写真かという基準は、他人の考えではなく自分の中に築く方が健全だ。

LEICA M Typ240 / Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 SC

LEICA M Typ240 / Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 SC

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8 01

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8 02

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible 01

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible 02

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible

LEICA M Typ240 / MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8 01

LEICA M Typ240 / MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8

僕の中で「これはいい写真だ」と思えるものは、「自分のものにしている」写真で、目の前の現象をただキレイに撮ったものではなく、撮影者独自の感性で切り取ったものだ。露出もトリミングも現像も、撮影者の美学をもれなく反映して写真に現れる。被写体が非凡でも平凡でも、必ず撮った人の感性が露見してしまう。ある意味、それが写真の怖いところでもある。もちろん、絵画の方がさらに個人の感性が浮き彫りになる。写真の場合、被写体が人でも物でも風景でも基本はあるものの複写なので、同じカメラとレンズで撮ればみんな同じと思われがちだが、そうでもない。とは言え、目の前にあるものの複写ではある以上、借りものではなく自分の感性が反映された作品にするためには、露出にもトリミングにも現像にも自分なりの工夫が必要になる。そういう撮影者の感性が刻まれた写真を「いい写真」と考えることにしている。その逆で、現実を忠実に再現しただけの写真ほど、つまらないものはない。

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible 04

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible 05

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible 06

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible

LEICA M Typ240 / Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC 01

LEICA M Typ240 / Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC

SONY α7S / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8 02

SONY α7S / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

SONY α7S / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8 03

SONY α7S / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

海外の写真家の作品には、撮影者の感性がビンビン感じられるものが多い。自分が単一民族として新鮮な感性に反応するからか、海外の作家の方がアートへの探究心が強いのか、理由はよくわからない。これは…、と感心する写真を見つけて何の機材を使っているのかデータから確認すると、日本では安く手に入る日本製のエントリー機材だったりもする。ひと昔前、独特な作風を持ったフォトグラファーの作品を見ると「海外の写真家みたいだ」なんてよく言ったもんだが、使っているカメラは世界中ほとんど日本製なんだから皮肉な話だ。オリジナルを真似してさらによくする器用さは我々日本人の最も秀でた才能だが、道具を自分流に使いこなす探究心に欠けるのかもしれない。誰かが決めたルール通り。教科書通り。他の人と同じ。そういうことがいいとされる国民性を持つ我々に、「自分流」はハードルが高いのかもしれない。DNAに刻まれたどうしようもない得手不得手があって、そういうのを比べて優劣を考えるのはナンセンスだし、他人の価値観に縛られ過ぎるのはとても不健康なことだが、現実を再現する写真ではなく何かしら工夫して「ものにする」方が、自分の写真が楽しくなると思っている。

オリンパスPEN-F、ソニーα7R2とα7S、ライカMという素晴らしいカメラと出会い、仕事の時よりも遥かに多くの枚数の写真を撮ってみて、少しずつ自分の考える「いい写真」と「悪い写真」のボーダーラインが見えてきた。今日はそのラインを越えられるかな。そんな期待を胸に、お気に入りのレンズを選びカメラをぶら下げて出かける。

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 沈胴

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible

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