ライカのデザイン
2019.03.21PHOTOGRAPH and WOLF仲のいいフォトグラファーが持っているライカを、触らせてもらったりチラチラ見たりしているうちにどうにもこうにも欲しくなり、LEICA M TYP240を手に入れた。車に乗らない人でも知っているフェラーリのように、カメラを使わない人でも知っている、それがライカというカメラだ。
ライカを選ぶ理由は人によっていくつかのタイプに分類できると思う。高額なものを所有したい人。高額なカメラならいい写真が撮れると思っている人。レンジファインダーという古いものへの依存、または憧れ。デザインへのこだわり。そんなところだろう。ライカのカメラはMシリーズに限らずとにかく値段が高い。ボディにしてもレンズにしても、え?冗談だよね?と思わず後ずさりするほど高い。いいものを安く、という日本的概念はドイツの老舗メーカーには通用しない。僕の場合、高額なくせに役に立たないものよりも値段の割にいい仕事をしてくれるものを愛する、まさに日本の庶民、先祖は公家ではなく百姓、自分だけ安物を纏っていても全然平気、というタイプで、そういう意味ではライカは異例の選択となった。それでもライカを選んだのは、ライカにはシンプルで美しいデザインがあるからだ。
世界で圧倒的なシェアを占めているくせに、どうも日本製のカメラのデザインはよろしくない。デジタルカメラも一眼レフからミラーレスに主軸が移行して、デザインも精査されて魅力的になるのかと期待していたが、どうもその気はないようだ。唯一頑張っているのはシグマだけ。カメラ業界のデザインは何となくガラケー時代の携帯電話を連想させる。余計な装飾と煩雑な表示。1つのフォーマットを少しずつアレンジしただけの新製品。他には負けない優れた技術がありながら、i phoneのように革新的なものは大概外国産になってしまう。本当は国産のものを使いたいのに、という思いをグッと押し殺し、完成度の高いデザインのライカを入手した。
ライカの性能や画像処理は、機種によって違いがあるらしい。国産カメラと比べて性能が予想を超えて劣ることや、慣れないレンジファインダーの戸惑い、最短撮影距離の短さ、といったライカをはじめて手にする誰もが味わう洗礼を受けて、その癖に寄り添いながら2,000枚ほど写真を撮ってみると、なるほど、そういうことか、とライカというカメラについて頭と体が理解してくる。ライカでもオートフォーカスが使えるモダンなカメラがある。しかしライカMはその逆で、カメラ内部はデジタル、ファインダーを含むカメラ上部がアナログという、現代において実に奇妙なメカニズムを採用している。正直、時代遅れの高級品と言われても仕方がないカメラだ。世間でよく言われる「ライカらしい絵づくり」というのは僕にはピンとこなかった。それでも、僅か1ヶ月ほどの使用で、LEICA M TYP240への愛着が増していくのを感じるのはなぜか?それは構造を含めたデザインが、実にしっくりくるからだと。
僕だけかもしれないが、どうもカメラのグリップが苦手だ。大きいレンズを使うのが嫌いで、コンパクトなレンズを好んで使うので余計そうなのかもしれない。α7R2はいいカメラだが、グリップがどうも手に馴染まなかった。そういう理由で、グリップのないシンプルなライカMの形状は実にありがたい。形状に凹凸が少なく背面もシンプルなので、肩からぶら下げていても服に干渉しないせいか、実際の重さよりも軽く感じる。このフィット感は素晴らしいな、と。M-PやM10-Pには上部に刻印があって、それがお洒落な感じと評判だ。Mには刻印はなく、何もないツルっとした上部になっている。この「何もない」部分が実に心地良い。製作者が意識したかどうかはわからないが、デザインに余白を設けることができるのは、そこに美学があるからだ。デザインが何もない、何もない場所、何もない時間。美学がなければ「ない」ことに絶対耐えられないだろう。
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