写楽の日々

2023.05.10PHOTOGRAPH and WOLF

LEICA M11 / Voigtlander NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical II MC

何か撮るもんないかな、と歩くことが多い。それはまるで「何か食いモンないかな」と道端を彷徨く鳩、あるいは路上生活者のようで何だか情けない所作だが、路上写真撮りというのはそういうのもである。近所をほっつき歩いて写真を撮っていると、お世辞にも美しいとは呼べないドブ川で年配のグループが椅子に腰掛けて絵を描いているのを見かけた。何もこんな汚い川を描かなくても…。そう思いながらさりげなく描きかけの絵を覗いてみると、何ともいい雰囲気に描けているので感心した。高齢スケッチャーズの手に掛かれば、横浜の汚いドブ川もベネチアの運河のように優美に生まれ変わってしまうのだ。絵画の素晴らしさは、実際にあるものや概念が作者というフィルターを通して別の何かに置き換わることだ。絵を鑑賞するのも悪くないが、絵はやはり自分で描いた方が遥かに楽しい。

LEICA M11 / Voigtlander NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical II MC

時に眉間を寄せて唸りながら、時にだらしなくニヤニヤしながら。そんな風に写真を撮り続けてきて今のところ飽きる様子がない。だが同じようなものを撮って自分の写真を自分で現像する日々を重ねると、どうしてもマンネリの波がやってくるものである。そんな時は、人様が撮った写真を見るのもいい。最近買ったエルンスト・ハースの写真集2冊はいい買いものだった。

エルンスト・ハースは同時代の作家と比べてフレーミングが丁寧で、写真の中のレイアウトも好感が持てる。たった2冊の写真集を見ても、シャープなものからブレや多重露光など撮影の柔軟性が感じられる。今と違ってレンズのボケ味がどうとか低ノイズがどうとか、そういうデジタルのウンチクとは一切関係なく「何をどう撮った」ということが丸裸になる時代である。カラーフィルムが普及し始めて「現像とプリント」が作品の味を決定する重要な位置づけになった時代とも言える。

最近では若い人に人気らしいフィルム撮影もいい刺激になる。僕のように熱心に写真を撮り始めて10年経っていない中途半端なオジサンの場合、え〜?フィルム撮影〜どうやって撮んのぅ?わかんないくねくねという感じではあるが、デジタルと比べてちょっと手間がかかるくらいで写真を撮ること自体は同じだ。ただし現像がデジタルのように自在にコントロールはできない。僕の場合、街の写真屋さんでフィルムを現像してからマクロ撮影してデジタル化する方法をとっているが、ネガを反転する際に意図せずとも色味が勝手に転んでしまう。それが逆に「ほ〜、こういう色合いもアリかもね」といい刺激になるのだ。

Nikon F2 / Nikon Ai Micro-Nikkor 55mm f/2.8S

Nikon F2 / Nikon Ai Micro-Nikkor 55mm f/2.8S

Nikon F2 / Nikon Ai Micro-Nikkor 55mm f/2.8S

昨年から使っているLeica M11が完全に脳と手に馴染んできて何でもかんでもライカで撮りたい。ただし困ったことにM11は大変ナイーブな代物なので、雨の日に持ち歩くのは気が進まない。そんなこんなで小さな力持ち「PEN-F」で雨の中の植物を撮る。PEN-Fに付属している小さなストロボを正面からバチッと当てて撮るのも悪くない。ストロボの光はカメラ側で調整するのは面倒なので、指でほんのり隠したりしながら光量を調整する。

OLYMPUS PEN-F / MINOLTA MD Rokkor 50mm F1.4

OLYMPUS PEN-F / MINOLTA MD Rokkor 50mm F1.4

OLYMPUS PEN-F / MINOLTA MD Rokkor 50mm F1.4

坂本龍一が亡くなって、高橋幸宏が世を去って、かつて世界をあっと言わせたグループYMOのメンバーは細野晴臣1人になってしまった。人は必ず死ぬものだから、人がこの世を去るのを過剰に悲しむのは遠慮したい。色々とお疲れさまでした。そう言って送り出す方が健全だと思う。ふと考えるのは「もし彼が300年生きたとしたらどんな音楽をつくるのだろう」という妄想だ。71歳ではなく271歳が紡ぎ出す音楽、そう考えると実に興味深い。この世界が「才能がある人だけ長生きできます」というシステムになったら、もっと面白いことが起きるだろう。最年長で現役の細野晴臣さんはどうやら相変わらず音楽で忙しいようである。僕は兄の影響で細野さんを好きになり、何枚かのアルバムや彼が監修した民族音楽のシリーズを持っている。日本語のロック、テクノ、アンビエント、ポップス、映画という様々な顔を持つミュージシャンで「音楽の探求者」といった印象の人だ。それに反して最近は、新しい何かを生み出すというより肩の力を抜いて大好きだった昔の音楽の中で漂っているように思える。純粋にシンプルに音楽を楽しんでいる、そんな印象だ。割と最近のアルバム「HoSoNoVa」と「Heavenly Music」は僕のお気に入りで、外で写真を撮りながらヘビーローテーションしている。

LEICA M11 / MINOLTA M-Rokkor 40mm F2

LEICA M11 / Voigtlander NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical II MC

LEICA M11 / Voigtlander NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical II MC

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

LEICA M11 / Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2

LEICA M11 / Voigtlander SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 Ⅲ

LEICA M11 / Voigtlander SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 Ⅲ

LEICA M11 / Voigtlander NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical II MC

LEICA M11 / Voigtlander NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical II MC

音を楽しむのが音楽であるように、写すのを楽しむ「写楽」と言い換えて写真撮影を楽しみたい。特にビジネスや名声が目的でない写真撮りの場合、自分が楽しめていないとまったく意味がない。心から楽しむためにはどうしたらいいのか?環境づくりか、揺るぎない価値観か、冴え渡る美意識か、柔軟な技術力か。きっとどれも重要だろう。他人に褒められる写真かそうじゃないかということではなく、他人に褒められる程度は当然でその上で自分の欲望を満足させられるか、くらいに思っておいてもいいだろう。写真を仕事にして暮らしていくのは難しいが、自分を満足させる方が遥かに難しい。こういう写真はこのカメラらしくないとか、絵やCGみたいな写真は写真とは呼べないとか、美術的文脈がどうとか、最近の流行りはどうだとか、そういうのはどうでもいいレベルの低い話で、もっと単純に写真撮影を楽しみたい。

情報量が多そうで多様性に乏しいインターネットの知識だけをいつまでも頼りにしていたら、本当の楽しさには浸れない。我々はある日突然命が尽きてしまう弱い生命体である。できれば自分らしい「写楽」を毎年、毎月、毎週と、存分に味わってから死にたいものである。

LEICA M11 / Voigtlander NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical II MC

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