海へ
2022.03.08PHOTOGRAPH and WOLF関東で暮らす人のあるあるで、晴れた日に富士山がよく見えると「わぁ〜」となるというのがある。先日、仕事で静岡に撮影に出かけたときに、静岡で生まれ育った方に「富士山なんて見飽きてるでしょう?」と訪ねたら、そんなことはない、富士山は何度見てもいいもんだ、という応えが返ってきた。いいものは何度見てもいい、ということだろう。シンプルで美しい稜線の富士山は、確かに何度見ても惚れ惚れする。何度見ても子供のように「わぁ〜」となると言えば、富士山の他にもうひとつある。それが海だ。海なし県の人が海への憧れで「わぁ〜」となるのは否めないが、そうでない人でも車や電車に乗っていて建物の間から海の煌めきが広がると、心が「わぁ〜、海だー」となってしまうのが不思議だ。登山にハマった時期に「わぁ〜、山だー」という経験もあるが、海の方が体の奥の方から湧き上がるような静かで温かい高揚感がある。
千葉、茨城、広島、東京、神奈川と移り住んできた僕にとって地元と呼べる場所はない。ただし木更津という割と海に近い場所に生まれ、祖父が漁師で父も若い頃は漁に出たと聞いていて、そんなルーツからか車で酔って気分が悪くなっても船に乗ると治まるという不思議な体質を持ってしまった。荒い運転の車に30分も乗っていると今でもすぐに酔ってしまう。だが、船で酔ったことはない。残念なのは海で泳いだ経験がほとんどないことだ。耳の調子が悪く耳鼻科に通う少年時代、水泳の時間はもっぱら見学だった。大人になって市営プールでバシャバシャ泳ぐ子供たちの動きを真似てなんとか泳ぎを覚え、ジムのプールで泳ぐのは困らない程度に泳げるようになったが、調子に乗って会社の先輩と2人で海で泳いだときに危うく溺れそうになって、泳ぎと言えばもっぱら塩気のないプールでクロール、波を感じるのは隣のレーンの迷惑ジジイがバタフライをしたときだけだ。コロナでジムを退会してしまったし、カヤックもしばらくやってない。海との付き合いは、写真だけである。
海に写真を撮るに行くのが好きだ。自宅の近くの海は海岸ではなく人工的な港で「わぁ〜、海だー」というタイプの海ではない。長い時間写真を撮り歩くなら、やはり海岸や岩場のある海の方が楽しい。波の表情を撮ったり、海岸の何かを撮ったり、太陽を浴びて波の音を聴きながら海辺で写真を撮っているとすこぶる気持ちがいい。何度か足を運んだ海だと撮る写真もマンネリ化しそうだが、そこは天気や時間帯がバリエーションをつくってくれる。晴天の日、雨の日、昼間、夕方、条件が変わると違うトーンで写真が撮れるので面白い。広角レンズで撮ったり、50mmで撮ったり、望遠レンズで撮ったり。瞬発力で撮ったり、長時間露光で撮ったり。海に限った話ではないが、自分を飽きさせないのは結局のところ自分自身なのだ。
人生はうまくいくことばかりじゃない。もう10年以上前になるが、仕事をはじめ何もかも思い通りにいかずイライラしていた時期があった。溜め込んだストレスで自宅から駅まで歩く道中で自分がどこにいるのか一瞬わからなくなり、乗り換えのため下車した渋谷でも同じような感覚になって青ざめた。見慣れたはずの街がまるで異国の街のように感じたのだ。混乱しながらもこれはマジでかなりどうしようもなくマズイ状態だと気づき、電話連絡を何本か済ませた後、仕事を放り出し電車に乗って海へ向かった。もう仕事どころではない。たどり着いたのは、湘南あたりの海だったと思う。海に着くと途中で買った缶ビールを開け、海を眺めながら「俺は大丈夫なんだろうか?」と自問自答した。長い時間海を見ていた。もちろん1人で海に来ているのだから、大丈夫だよお前なら大丈夫、気楽に行こうぜ、いままでだってキツイ壁を乗り越えて来たじゃないか、なんて誰も言ってくれない。冷静に、そして客観的に自分の状況を整理しようと頭を巡らせ、1時間が過ぎ、2時間が過ぎ、いま自分についてアレコレ考えても結局どこにも行けないことに気づいた。そして考えることをやめ、波が来たり戻ったりするのをぼんやりと眺めていた。心が疲れると、人はなぜ海を見に行くのだろうか。どうしてあのとき迷わず海へ向かったのか、自分でもよく憶えていない。
人が海に惹きつけられるのは、生きものの源流が海にあるからか、それとも真っ直ぐに空と海を分ける水平線が心を穏やかにするからか、繰り返す波のリズムが循環や輪廻を感じさせるからか、水面の輝きがただただ美しいからか、いずれにせよ海には様々な魅力がある。海の魅力を言葉で定義するのも興味深いが、海に来たらしばらく頭を空っぽにして潮風や波音や光の反射に身を委ねるのも悪くない。強がりやプライドや向上心や劣等感を放棄して、自分を空にできる場所はそんなに多くはない。
このページの撮影機材
SONY
α7S(ILCE-7S)
CANON
100mm F3.5 Ⅱ
Voigtlander
SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 Ⅲ
Voigtlander
COLOR-SKOPAR Vintage Line 21mm F3.5
Voigtlander
NOKTON classic 35mm F1.4 Ⅱ MC
PENTAX
Super Takumar 55mm F1.8
MINOLTA
M-Rokkor 28mm F2.8
MINOLTA
M-Rokkor 40mm F2
Nikon
Ai Micro-Nikkor 55mm f/2.8S
Hawks Factory
Adapter
-
写真集「BLUE heels」
¥1,100 -
写真集「Nostalgia」
¥1,100 -
写真集「植物美術館」
¥1,100 -
写真集「花美 1」
¥1,100 -
写真集「花美 2」
¥1,100 -
写真集「花美 3」
¥1,100
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- 2019.01.30NOKTON Classic 35mm
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- 2018.08.21過去との距離感
- 2018.07.10本来の姿とそこから見える景色
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lens
- LEICA Summicron 50mm F2 1st Collapsible
- Thypoch Eureka 50mm F2
- MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8
- MINOLTA M-Rokkor 40mm F2
- MINOLTA MD Rokkor 50mm F1.4
- Voigtlander SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 Ⅲ
- Voigtlander COLOR-SKOPAR Vintage Line 21mm F3.5
- Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 Ⅱ MC
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 SC
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 E-mount
- Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC
- Voigtlander NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical II MC
- Voigtlander APO-SKOPAR 90mm F2.8
- PENTAX Super Takumar 50mm F1.4
- PENTAX Super Takumar 55mm F1.8
- PENTAX SMC Takumar 200mm F4
- Nikon Nikkor-H Auto 50mm f2
- Nikon Ai Micro-Nikkor 55mm f/2.8S
- CANON 50mm F1.8 Ⅱ
- CANON 100mm F3.5 Ⅱ
- ZEISS Planar T*2/50 ZM
- GIZMON Wtulens 17mm F16
- OLYMPUS M.ZUIKO 12mm F2.0
- OLYMPUS M.ZUIKO 25mm F1.8
- OLYMPUS M.ZUIKO 40-150mm F4.0-5.6R
- LUMIX G VARIO 100-300mm F4.0-5.6 Ⅱ
- All Photograph