老いの向こうに
2025.02.17PHOTOGRAPH and WOLF先日、先輩に誘われて元同僚2人と再会することができた。1人は20年ぶり、もう1人は24年ぶりの再会だった。とんでもなく時が過ぎたくせに「あんまり変わってないよね」とお互い言い合って笑う。眠い目をこすりながら朝まで働いて喜怒哀楽を共にした同僚たち。かつての環境を後にして、それぞれに違う人生を生きてきた。20年以上前からニューヨークで働いている元同僚の会社は、渡米した当時は数名で営む小さな会社だったが現在では数百名の会社に成長したと言う。働く環境だけでなく、子供が成人したり、親が亡くなったりして時間の経過はライフスタイルにも変化をもたらす。「何も変わっちゃいない」そう思えるアレコレも、脳から取り出しテーブルの上に1つ1つ並べて眺めてみると、形状は同じでも色合いや風合いは確実に変化しているものである。
自然の風景や植物の写真をしつこく撮影していると、撮るもの撮らないものを自分の趣向によって瞬時に判断していることに気づく。つまり自分が魅力を感じるものに対してシャッターを切っているということだ。これはまさに個人的な美意識の違いに基づく話で、例えば誰が見ても美人だねという女性の写真を撮るのが好きな人もいれば、どう考えても写真映えしないよねという草むらの写真を撮るのが大好きな人もいる。反感を恐れずに言うなら、電車の写真なんか撮っていったい何が楽しいのかね?女の子をバイトで雇って撮るポートレートって何がいいのかね?と僕は思っている。しかし、そう言う自分はよくわからない植物のモジャモジャとか大きくも小さくもないどこにでもあるような木の写真を「う〜んいいねぇ」とか言いながら熱心に撮っていて、そういう趣向性はおそらく世の中の99%の人に理解されることはないだろう。しかし、そういうことはどうだっていいのだ。社会のニーズに応えるのはビジネスマンに、承認欲求を満たすのはSNSで暮らす人々にまかせておけばいいのだ。自分がいいと思えることに夢中になれること。それ以上に素晴らしいことなどない。法を犯さず、人に迷惑をかけず、どうやったら自分自身の趣向性に思いっきり酔いしれることができるか、それが勝敗の分かれ道である。
秋や冬の季節に花の写真を撮るのが好きで、何だかんだ毎年シャッターを切っている。桜や梅や菜の花といった総量を感じるビジュアルはやはり満開の時期に撮った方がいいが、単独や少ない量の花を撮る場合は少し枯れかけた花の方がビジュアルとして好みだ。どちらかと言えば少し年配の女性の方が好みです、みたいな言い方になって何だか小っ恥ずかしい。多様化がトレンドの最近では、太った人や年配の人に性的興奮を覚える人も「異常だよね」ではなく「たまにいるよね」という配慮が求められる世の中なので、僕のように枯れてしぼんだ花を見て「いいよねぇ」と写真を撮るオジサンがいたって問題はないはずだ。
多くの人は瑞々しい最盛期の花を好む。美しい花、と聞いて枯れかけの花をイメージする人はいないだろう。しかし、老いた花は老いた花で、なかなか味わい深い魅力があるのである。鮮やかな色を失い、形が変形し、朽ちるのを待つ花。枯れかけの花には、かつての鮮やかな色彩とこれから向かう死の色が共存していて、それがまた不思議な魅力となっている。若い花にはない、時間という概念を感じることもできる。小さな花が枯れゆく姿、そこには人を含む地球という1つの生命の営みの片鱗がある。その佇まいは、ただ単に「哀愁がある」と片付けることのできない引力があるのだ。
2年以上追加してこなかった写真集を、今回新たに2冊つくった。「花美」シリーズの4作目と5作目である。この2冊は「晩年」をテーマにし、老いた花の写真をまとめた写真集だ。そもそも「花美」シリーズは、老いた花の写真を写真集にしたくて始めたシリーズで、1〜3作目の前置き的な写真を経てようやく本題にたどり着いた気分だ。
PHOTOBOOK WOLF
花美4・花美5 ¥1,100にて販売中
https://shopwolf.stores.jp
僕の写真集は記録ではなく表現だ。限定的なイメージの定着、あるいは具体的な情報伝達を目的としていないので、作品について意図や意気込みを説明するコンテクスト的なものは印刷していない。色んな人が写真を観て、色んなことを考えればいい。
生命力あふれる最盛期を終え、枯れかけの花が待っているのは死だ。花も鳥も魚も犬も人も、必ず死ななければならない。我々はどうあがいても、地球の代謝の一部なのだ。
このページの撮影機材

SONY
α7CII(ILCE-7CM2)

Voigtlander
NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical II MC

MINOLTA
M-Rokkor 40mm F2
-
写真集「花美 5」
¥1,100 -
写真集「花美 4」
¥1,100 -
写真集「花美 3」
¥1,100 -
写真集「BLUE heels」
¥1,100 -
写真集「Nostalgia」
¥1,100 -
写真集「植物美術館」
¥1,100
column
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- 2019.09.23植物採集の日々
- 2019.09.0263歳のキヤノン50mm
- 2019.08.22それは いい写真か悪い写真か
- 2019.08.14近くから遠くへ
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- 2019.04.03ノーファインダーの快楽
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lens
- LEICA Summicron 50mm F2 1st Collapsible
- Thypoch Eureka 50mm F2
- MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8
- MINOLTA M-Rokkor 40mm F2
- MINOLTA MD Rokkor 50mm F1.4
- Voigtlander SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 Ⅲ
- Voigtlander COLOR-SKOPAR Vintage Line 21mm F3.5
- Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 Ⅱ MC
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 SC
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 E-mount
- Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC
- Voigtlander NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical II MC
- Voigtlander APO-SKOPAR 90mm F2.8
- PENTAX Super Takumar 50mm F1.4
- PENTAX Super Takumar 55mm F1.8
- PENTAX SMC Takumar 200mm F4
- Nikon Nikkor-H Auto 50mm f2
- Nikon Ai Micro-Nikkor 55mm f/2.8S
- Nikon Ai Nikkor 200mm F4
- CANON 50mm F1.8 Ⅱ
- CANON 100mm F3.5 Ⅱ
- ZEISS Planar T*2/50 ZM
- GIZMON Wtulens 17mm F16
- OLYMPUS M.ZUIKO 12mm F2.0
- OLYMPUS M.ZUIKO 25mm F1.8
- OLYMPUS M.ZUIKO 40-150mm F4.0-5.6R
- LUMIX G VARIO 100-300mm F4.0-5.6 Ⅱ
- All Photograph