朽ちていくもの
2020.07.29PHOTOGRAPH and WOLF枯れかけた花、錆びついた建物。そういうものを見ると「絵になるなぁ」と思って写真を撮ってしまう。何かしら特別な理由があってそうしているわけじゃないが、瑞々しい花よりもピークを過ぎて終わりを迎えようとしている花の方についつい反応してしまう。太陽に灼けて色褪せたその佇まいは、何とも言えない哀愁がある。
終わりかけたものに反応してしまうのは、ただ単に自分が歳食ったからかもしれないし、元来そういう性格だっただけかもしれない。いつだったか実家に寄ったときに、自分が高校生の頃に描いた絵を母親が引っ張り出してきた。それは黒人の爺さんがギターを弾いている絵で、我ながらシブイ選択だなぁと苦笑いした。好きな音楽もアメリカンロック、ジャパニーズロックを経て、ひと昔前のR&Bやブルースに落ち着いた頃だ。酒も煙草もセックスも味を知ったのは18の終わりで、蛍光灯ではなく白熱灯のオレンジ色の灯りで部屋を照らし、オールディーズやトムウェイツ、ボブ・ディラン、ビル・エヴァンスの音楽を聴きながら黄昏れる地味でシブイ青春時代だった。音楽も、どういうわけか最新のものより少し前のものの方が落ち着く。その傾向は、20年以上前も現在も変わらない。
オールドレンズを好んで使っているからと言って、何もかも古けりゃいいというわけじゃない。薄汚れて不潔なものはできれば触りたくないし、処理速度の遅いパソコンよりも小気味よく動く新しいパソコンの方が好きだ。僕だけかもしれないが、グラフィックデザイナーの仕事はマウスやキーボードを激しく操作する。もう20年以上前になるが、当時のマッキントシュは処理が遅くて機械の作業が追いつくのを画面の前で待っていることが多かった。ファイルを保存するのにも数分かかり、その途中でデータが壊れてしまい何日もかけてつくったデザインをゼロからつくり直すなんてことも日常的にあった。あの頃のパソコンは本当にしんどかった。あれをもう1度使ってみたいとは、間違っても思わない。
音楽にしろ、オールドレンズにしろ、それらの現役時代を知らない世代なので、決して青春時代を懐かしんでいるわけではない。ビートルズにしろ、Mロッコールにしろ、僕が知ったのはそれらが既に「古く」なってからだ。古くなっても夢中になれるということは、時代を飛び越えるだけの魅力があるはずだ。古くても許せるのは、そういうものに限る。
最盛期を終えて…ということでいうと、昨年は急速に体が老化した。膝の軟骨がダメになり、老眼が一気に進んで、歯が1本なくなった。「老化を止めることはできない。急速に低下してしまうか、日々気をつけて緩やかに低下するか、そのどちらかです。」という医者の的確な表現が頭の中でリフレインしている。10年経っても若いままね、という人は他人にはわからないくらい「緩やか」だということなんだろう。僕の目と歯はどうにもならなかったが膝については、走らない、機敏に動かない、姿勢をよくして内股を意識する、という自分で勝手に編み出した3原則を守ることによって、ほとんど痛みを感じることがなくなった。どうもガニ股はよろしくないらしい。坊主頭も飽きてきたね、ということで今年に入ってから髪を伸ばしてみたものの、どうやら後頭部が「やや薄」だと判明し再び坊主頭に戻す。薄毛を気にするくらいなら、髪など不要だ。
花も人も必ず朽ちていく。それはきっと、生命が終わることに意味があるからだろう。我々が「食って出して、また食って出して」という営みで生命を維持しているように、地球という生きものも始まりと終わりの代謝を繰り返している。始まるためにはやはり終わることが必要で、魅力的なものも、大して魅力のないものも、終わっていくことで同じような価値を持つことができる。素朴な疑問だが、最盛期が最も美しいと誰もが疑わないこの世界で、朽ちかけの花が美しいのは矛盾に満ちている。老いた花にしかない存在感?それとも朽ちていく儚さからくる色気?シワくちゃの老人が絵になるように、終わりを迎えようとしているものには、普遍的な何かが潜んでいるように思えてならない。
このページの撮影機材
LEICA M(Typ240)
SONY
α7S(ILCE-7S)
OLYMPUS
PEN-F
LEICA
Summicron 50mm F2.0 Collapsible
MINOLTA
M-Rokkor 28mm F2.8
MINOLTA
M-Rokkor 40mm F2
Hawks Factory
Adapter
-
写真集「BLUE heels」
¥1,100 -
写真集「Nostalgia」
¥1,100 -
写真集「植物美術館」
¥1,100 -
写真集「花美 1」
¥1,100 -
写真集「花美 2」
¥1,100 -
写真集「花美 3」
¥1,100
column
- 2024.10.30レンジファインダーとの和解
- 2024.10.10黒潰れと白飛びの世界
- 2024.09.06モノクロ写真の追求
- 2024.07.23身軽なハンター Eureka 50mm
- 2024.06.28記録の写真
- 2024.06.01「P」「S」「A」モードの疑問
- 2024.05.11言葉にできない写真
- 2024.03.28強い者たちの正義
- 2024.02.25少数派に優しい Nikon Zf
- 2024.02.0135mm 凡庸者の可能性
- 2023.12.20それをする意味
- 2023.12.15テクノロジーと人の関係
- 2023.11.06Super Takumar 50mm F1.4
- 2023.09.03クソ野郎が撮る写真
- 2023.06.22花を撮る理由
- 2023.05.10写楽の日々
- 2023.03.21楽しい中望遠 APO-SKOPAR 90mm
- 2023.02.09太陽を撮る快楽
- 2023.01.13行ったり来たりの軌跡
- 2022.11.22タスクの向こうに幸福はない
- 2022.11.03LEICA M11の馬鹿ヤロウ
- 2022.09.20狙い通りに的を射る
- 2022.08.13LEICA M11と10本のレンズ
- 2022.07.08人知れず開催される「植物美術館」
- 2022.06.18日本人の遺伝子と「茶の道」
- 2022.06.07LEICA M11
- 2022.05.16写真の構図
- 2022.04.13NOKTON F1.5と50mmを巡る旅
- 2022.03.17脳とモラルのアップデート
- 2022.03.08海へ
- 2022.02.28世界の大きさと写真の世界
- 2022.01.29写真集をつくる
- 2021.12.31フィルム撮影の刺激
- 2021.11.29絞って撮るNokton Classic 35mm
- 2021.10.27時代遅れのロックンロール
- 2021.09.23雨モノクロ沈胴ズミクロン
- 2021.09.13拒絶する男
- 2021.08.22過去からのコンタクト
- 2021.07.26スポーツと音楽と写真
- 2021.07.19マイクロフォーサーズの魅力 2021
- 2021.06.24小さきもの
- 2021.05.26現実と絵画の間に
- 2021.05.11脳と体で撮る写真
- 2021.04.26理解不能なメッセージ
- 2021.04.03とっておく意味
- 2021.03.11モノクロで自由になる感性
- 2021.03.04もう恋なんてしない
- 2021.02.19ギリキリでスレスレへの挑戦
- 2021.02.09人間は動物よりも優れた生きものか?
- 2021.01.18写真の中のハーモニー
- 2020.12.24遠くへ
- 2020.12.11モノクロの世界と15mm
- 2020.11.06現像の愉しみ
- 2020.10.15ずっと使えそうなカメラ SONY α7S
- 2020.09.21写スンです GIZMON 17mm
- 2020.09.01矛盾ハンター
- 2020.07.29朽ちていくもの
- 2020.07.23花とペンズミ中毒
- 2020.07.15無駄に思えるプロセスは報われる
- 2020.06.24ズミタクマクロ
- 2020.06.19森へ
- 2020.05.25大人の夜の快楽
- 2020.05.04見直しと修正の日々
- 2020.04.13AM5:00の光と濃厚接触
- 2020.03.24何だってよくない人のPEN-F
- 2020.03.05濃紺への憧れ
- 2020.02.20NOKTON Classic 35mmとの再会
- 2020.02.15写真に写るのは事実か虚構か
- 2020.01.22流すか止めるか
- 2020.01.17ローコントラストの心情
- 2019.12.19後悔と懺悔の生きもの
- 2019.12.10飽きないものはない
- 2019.11.15小さな巨人 X100F
- 2019.10.24F8のキャパシティ
- 2019.10.05愛せる欠点とM-Rokkor40mm
- 2019.09.23植物採集の日々
- 2019.09.0263歳のキヤノン50mm
- 2019.08.22それは いい写真か悪い写真か
- 2019.08.14近くから遠くへ
- 2019.07.29雨を愛せる人になりたい
- 2019.07.081度しか味わえないその時間
- 2019.06.2465年前の古くないデザイン 1stズミクロン
- 2019.06.12街のデザインとスナップ写真
- 2019.05.15空の青 思い描く青空
- 2019.05.03近くに寄りたい欲求
- 2019.04.24変わらないフォーマット
- 2019.04.13常識と非常識の選択
- 2019.04.03ノーファインダーの快楽
- 2019.03.21ライカのデザイン
- 2019.02.26飽きないものの価値
- 2019.01.30NOKTON Classic 35mm
- 2019.01.17光と影のロジック
- 2019.01.01終わりに思う 始まりに思う
- 2018.12.17Takumarという名の友人
- 2018.12.06普通コンプレックス
- 2018.11.30季節を愛でる暮らし
- 2018.11.27失敗しない安全な道
- 2018.11.09終わりのない旅
- 2018.11.01M-Rokkor 28mmの底力
- 2018.10.19M-Rokkor 28mmの逆襲
- 2018.10.05焦点と非焦点
- 2018.09.26夜の撮影 α7R2 vs PEN-F
- 2018.09.18いま住んでいる場所が終の棲家になる
- 2018.09.10強烈な陽射しと夏のハラスメント
- 2018.08.30現役とリタイアの分岐点
- 2018.08.21過去との距離感
- 2018.07.10本来の姿とそこから見える景色
- 2018.06.16花の誘惑 無口な美人
- 2018.05.15欲望の建築とジェラシー
- 2018.04.14朝にしかないもの
- 2018.03.28過去の自分を裏切って何が悪い
- 2018.03.18夫婦とか家族とか
- 2018.03.01固定概念から自由になるための礎
- 2018.02.15ディテールを殺した写真
- 2018.02.07劣化することは悪いことだろうか?
- 2018.02.03マイクロフォーサーズの魅力
- 2017.12.27日本人は写真が好きな人種だと思う
lens
- LEICA Summicron 50mm F2 1st Collapsible
- Thypoch Eureka 50mm F2
- MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8
- MINOLTA M-Rokkor 40mm F2
- MINOLTA MD Rokkor 50mm F1.4
- Voigtlander SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 Ⅲ
- Voigtlander COLOR-SKOPAR Vintage Line 21mm F3.5
- Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 Ⅱ MC
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 SC
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 E-mount
- Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC
- Voigtlander NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical II MC
- Voigtlander APO-SKOPAR 90mm F2.8
- PENTAX Super Takumar 50mm F1.4
- PENTAX Super Takumar 55mm F1.8
- PENTAX SMC Takumar 200mm F4
- Nikon Nikkor-H Auto 50mm f2
- Nikon Ai Micro-Nikkor 55mm f/2.8S
- CANON 50mm F1.8 Ⅱ
- CANON 100mm F3.5 Ⅱ
- ZEISS Planar T*2/50 ZM
- GIZMON Wtulens 17mm F16
- OLYMPUS M.ZUIKO 12mm F2.0
- OLYMPUS M.ZUIKO 25mm F1.8
- OLYMPUS M.ZUIKO 40-150mm F4.0-5.6R
- LUMIX G VARIO 100-300mm F4.0-5.6 Ⅱ
- All Photograph