AM5:00の光と濃厚接触
2020.04.13PHOTOGRAPH and WOLF新型コロナで悲観的にならざるを得ない状況が世界を覆っている。相変わらずテレビの報道バラエティのつくりはひどい。政治家の判断をディスったり、補償をくれと喚き散らす番組は、日々節約して生活を築いている親に金をせびる子供のようだ。親の金を使い果たしてしまうと、自分を含む家族の金がなくなってしまうというシンプルな理屈が、子供にはわからない。経済への多大なリスクを承知で緊急事態宣言が発令されているのに、補償がなんだと声を張っているコメンテーターも、昼間の街で相変わらず汗だくになって走っているジョガーも、脳みそは子供のままだ。金が足りなくて消費税を上げているのだから、非常時とは言えバーンと使える金があるわけがない。わがままな子供を黙らせるのはその場しのぎでお菓子を買ってやってことではなく、ぶれない価値を持つ親の威厳だ。残念ながら現代の政府には、かつての父親のような威厳を求めるのは難しいのかもしれないが、家族の金を使うならギャーギャーうるさい子供のわがままは完全に無視して、大人の頭脳で適切に使ってもらいたいものだ。
何かあったときに、国や会社が何とかしてくれる時代はもう終わっている。会社や仕事が嫌になって転職することが自由なら、会社の都合で社員を解雇することも自由だ。極端なことを言えば、「顔が気に入らない」というむちゃくちゃな理由で社長が社員をクビにしたとしても文句は言えない。それが嫌なら貧乏になるリスクを承知で独立する道を選ぶべきだ。新型コロナの影響でかなりの法人が苦しい状況になる。どんな理由でも、働いて売上を生まない人間が会社から給料をもらうのはどう考えても矛盾がある。新型コロナの影響で売上が下がり、人員を削減する会社は「ひどい会社」ではなく「ふうつの会社」なのだ。非常時には普段曖昧にしておいた現実が浮き彫りになる。子供を他人に預けて仕事をする親、労働条件が悪いのに円滑にやり過ごす業界、分散化しすぎて決定権がない機関。見て見ぬふりをしてきた問題点は、危機的状況になったときに致命傷をもたらす。
新型コロナはどうやら空気感染はなさそうだから、とにかく人を避けることが自分と他人にの安全につながるようだ。人と接触しなければ自分は死なないし、他人を殺すこともない。実にシンプルな話だ。だから、人の集まる場所と時間帯を避けることが必須だ。食材を買うのもスーパーが空いている時間に短時間で済ませる方がいいだろう。人混みを避けるというより、たとえ1人でも近距離の接触を避ける、という理解の方がいいだろう。ただし、人のほとんどいない屋外では平常時と変わらないことができるはずだ。1人で車に乗って誰もいないような海や山で過ごすのが、最も安全で紳士的なレジャーだ。車を持っていない、あるいは田舎に住んでいない場合、行動は極端に人のいない深夜から早朝が狙い目だ。
夜明け前にカメラを持って外に出る。同じようなことを考える人はいるようで、時折ウォーキングしている人を見かけるが、人通りは昼間の比ではない。ヒヤリとした空気の中、誰もいない街の写真を撮る。
朝の光は特別だ。浅い角度の自然光と色温度は、植物を魅力的にライティングしてくれる。地球の自転によって生命が動き出すパワーに包まれて、写真を愛するオジサンも柄にもなくスピリチャルな気分になってくる。静かな朝には例え屋外であっても下品なシャッター音は立てたくないので、サイレントシャッターを使う。50m離れた場所にいる静けさを満喫している人への配慮も忘れてはいけない。
太陽が完全に顔を出し早朝が朝になってしまうと、ジョガーや犬の散歩の人々が増えてくるので、いそいそとカメラをしまって切り上げる。日の入りと同じく、日の出前後の時間はとても短い。しかし、その時間は濃密なので短くても満足感はある。1枚でも満足できるカットが撮れたなら良しとしよう。モタモタしてたら人が動き出し、混雑したスーパーで買いものをするのと同じくらい危険な状況になってしまう。
非常時には、国や自治体の方針に身を任せるだけでなく、会社や家族、個人単位での決断が求められる。そこまで大切でもない「日常」にしがみついたせいで身近な人が死んでしまうというあってはならない悲劇より、一時的に職を失って趣味を失って人並みな食事を取れなくなった方が遥かにマシだ。
このページの撮影機材
SONY
α7S(ILCE-7S)
Voigtlander
NOKTON classic 35mm F1.4 Ⅱ MC
MINOLTA
M-Rokkor 40mm F2
Hawks Factory
Adapter
-
写真集「BLUE heels」
¥1,100 -
写真集「Nostalgia」
¥1,100 -
写真集「植物美術館」
¥1,100 -
写真集「花美 1」
¥1,100 -
写真集「花美 2」
¥1,100 -
写真集「花美 3」
¥1,100
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- 2019.01.30NOKTON Classic 35mm
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- 2018.03.18夫婦とか家族とか
- 2018.03.01固定概念から自由になるための礎
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- 2018.02.07劣化することは悪いことだろうか?
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- 2017.12.27日本人は写真が好きな人種だと思う
lens
- LEICA Summicron 50mm F2 1st Collapsible
- Thypoch Eureka 50mm F2
- MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8
- MINOLTA M-Rokkor 40mm F2
- MINOLTA MD Rokkor 50mm F1.4
- Voigtlander SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 Ⅲ
- Voigtlander COLOR-SKOPAR Vintage Line 21mm F3.5
- Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 Ⅱ MC
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 SC
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 E-mount
- Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC
- Voigtlander NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical II MC
- Voigtlander APO-SKOPAR 90mm F2.8
- PENTAX Super Takumar 50mm F1.4
- PENTAX Super Takumar 55mm F1.8
- PENTAX SMC Takumar 200mm F4
- Nikon Nikkor-H Auto 50mm f2
- Nikon Ai Micro-Nikkor 55mm f/2.8S
- CANON 50mm F1.8 Ⅱ
- CANON 100mm F3.5 Ⅱ
- ZEISS Planar T*2/50 ZM
- GIZMON Wtulens 17mm F16
- OLYMPUS M.ZUIKO 12mm F2.0
- OLYMPUS M.ZUIKO 25mm F1.8
- OLYMPUS M.ZUIKO 40-150mm F4.0-5.6R
- LUMIX G VARIO 100-300mm F4.0-5.6 Ⅱ
- All Photograph