植物採集の日々

2019.09.23PHOTOGRAPH and WOLF

SONY α7S / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

何だか年中、植物の写真ばかり撮っている。今月も撮ったし、先月も、先々月も撮った。それはもう、ほとんど中毒に近い。植物と言っても、珍しい花とか展示されたアレンジメントとか、そういうものではなくても、何気なくその辺に植わっているものを写真に撮ることが多い。その辺にあってあまり意識しないで通り過ぎるものではあるが、立ち止まってよく見てみると植物は実に不思議な造形をしている。左右対象かと言えばそうではないけれど、気ままに伸びたように見える葉が、絶妙なバランスを保って中央に重心を置いている。ディテールも色も様々で優れたクリエイターであっても、なかなかこうはデザインできまいと思わせるセンスに満ちている。

SONY α7S / CANON 50mm F1.8 II

SONY α7S / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible

1度ハマったらなかなか抜け出せないのが植物の撮影だ。壮大な景色と違って小さな植物の場合、とにかくその辺にあるわけで、カメラを持って歩いていると「おっ、ここにも」「あれっ、あそこにも」という感じで嫌になるほど目が反応してしまう。道端に転がっている植物を熱心に撮っているオジサンの姿は、なかなかシュールで気持ち悪い佇まいだが、誰が何と言おうと楽しいので仕方がない。感性が反応した植物の形、色、表情を写真に撮っていく。それはまるで、植物採集のような体験だ。

SONY α7S / Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC

SONY α7S / Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC

SONY α7S / Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC

SONY α7S / Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC

海で暮らす無数の生物たちは、大きなうねりのような法則に従って生きている。食物連鎖もしかり、共同生活もしかり。個人の楽しみや主張よりも、生命としての役割を優先して生きているようだ。地球という生きものの中で、無数あるうちの1つの細胞として存在しているような在り方だ。地上の植物にも同じような印象を受ける。人間以外の生きものは、みんなとっても謙虚だ。地球にとっての悪しきガン細胞、つまり我々人間だけ調和を見つけ出せずに不器用にあがいているような気がする。植物や動物の何とも言えない造形や理にかなった生態に触れると、やはり神は存在するのだろうな、と思う。宗教は嫌いだが、人には理解することのできないレベルの創造主がいると考えた方が、自然な気がする。

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

SONY α7S / Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC

近寄ってみたり、離れてみたり。肉眼では個性がなさそうに見える植物も、写真に撮ると特別な雰囲気を漂わせながら輝き出すので面白い。まさに、写真マジック。とは言っても、おばさんが上から写真を撮ってアプリで手を加えるとまるで20代に見えてしまうアレとは一緒にされたくない。後ろ姿は若い女の子で、前からみるとシワシワ60代というパターンとも違う。それらは、悪い冗談を通り越して、もはや軽犯罪だ。実年齢より若くみえることは結構だか、人を欺くのはよろしくない。年相応。シワシワで何が悪い。

SONY α7S / Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC

SONY α7S / Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC

SONY α7S / Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC

少し枯れてしまった植物も味わい深い。役目を果たし、葉や茎を枯らしてしまった植物には、ジャズがよく似合う。ブルースもいいが、やはりジャズの方がいい。特に年配の女性シンガーが歌うジャズなんか、枯れた植物を優しく包んでいいんじゃないですか?などとどうでもいいことをほざきながら、植物を写真におさめていく。

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