写真に写るのは事実か虚構か

2020.02.15PHOTOGRAPH and WOLF

SONY α7S / MINOLTA M-Rokkor 40mm F2

同じものを同じ日にで撮っても、まったく違う写真に撮ることができる。光の角度、アングル、構図、もちろん現像の仕方でも、同じ被写体でも違う雰囲気で写真に定着することができる。事実を複製しつつも撮影者の意図を反映できるのは、写真表現の素晴らしさの1つだ。

同じものなのに違う意図を持って写真に仕上げると、こんなにも違うものになってしまう、というのが面白い。そもそも事実と写真は違う。色や質感などをできるだけ忠実に再現しようとするなら、生のままの写真ではなく現像での綿密な調整が必要になる。本物に見えても写真は写真でしかなく、写真に撮った瞬間に事実は写真へと変わり、本来のリアリティを失うからだ。これは嘆くことではなく、むしろ歓迎すべきことだろう。

SONY α7S / MINOLTA M-Rokkor 40mm F2

SONY α7S / MINOLTA M-Rokkor 40mm F2

時間帯でも、ものの見え方は変化する。人にも昼の顔と夜の顔があるように、自然光に照らされた被写体は、時間帯によってまるで違ったものに見える。さらに写真は撮る側の感性に強く依存する。同じ撮影者が撮ったとしても、昨年と今年では撮り方や現像方法が違っていてもおかしくない。そこにあるもの自体は大した違いはない。つまり、事実としては「同じ」だ。それなのに大きな違いが生まれるのは、事実ではなく受け取る側のプロセスが鍵を握っているからだ。

SONY α7S / MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8

LEICA M Typ240 / Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 SC

SONY α7RII / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

事実と結果が異なる例は死ぬほどある。貧乏でも楽しそうな人。クリーンなイメージのブラック企業。見習いパティシエがつくる一流のケーキ。価格と品質が釣り合わないブランドもの。儲かりすぎて閉店する店舗。煙草を吸い続けて長生きする老人。背が低いのに長身だと思われている女優。好景気だと言われる借金だらけの国。それらの本質は「事実」だろうか?それとも定着した虚構のイメージの方が「現実」だろうか?

人は本能的に見たいものにフォーカスし、見たくないものから目を背けると言う。同じ方向で同じものを見ていても、焦点がどこにあるかで物事はまるで違ったものになってしまう。

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible

LEICA M Typ240 / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible

新型コロナウィルス「COVID-19」が世界を不安にさせている。症状が出る前に人に感染するというこのウィルスは、もしかしたら隣の人が感染してるかもしれないという憶測を生み出し、必要以上の警戒を誘発している。致死率はインフルエンザより高くSARSより低い。統計の結果は、専門家が指摘するように分母、つまり検査を受けて陰性だった人がどれだけいたか、どれだけの人が病院に駆け込んだか、という条件に左右される。マーケティングのアンケート調査で誰を対象にするかによって結果に偏りが生まれるのと少し似ている。そして統計はどうしても作為的に操作される。報道でバラまかれた数値や言葉が定着し1人歩きをはじめると「ウィルスに感染 = 死ぬ」という漠然としたイメージを誰しも持ってしまう。専門家がいくら理論的に「普通の風邪と同じ種類だ」と説明したところで、多くの人は聞く耳を持たないだろう。目に見えないウィルスに怯え健康に気をつけたことで、インフルエンザの数は例年と比べて激減した。COVID-19についてどれほどの感染者がいて、どれくらい国内で拡がっているのか、情報の裏に隠れた本当の事実を我々が正確に知ることはない。

良くも悪くも、事実は現実を構成する一部でしかない。知ることのできた僅かな事実に惑わされて他人の価値や多数の認識を主軸に置くのではなく、できるだけ自分の見方で物事を捉えたいものだ。写真表現も同じことが言えるのではないだろうか。写真の中で表現される真のリアリティは、事実を忠実に再現されたものではなく、撮影者の意図がつくり出す虚構のクオリティによって生まれるものだと思う。

写真集販売PHOTOBOOK WOLF