クソ野郎が撮る写真
2023.09.03PHOTOGRAPH and WOLF写真、写真、写真。毎日のように写真のことを考えてきたのに、この夏はそんなことができなくなった。愛犬が亡くなったからだ。僕の愛しい子供は心の底から優しい心根を持ったいい子で、最期の瞬間を夫婦で見守る奇跡を与えてくれた。僕は妻の悲しみが大きすぎて体調を崩さないよう、遺体の保存から火葬までをなるべく素早く終わらせ、悲しみの緩和に注力した。30歳を過ぎても夜な夜な飲んだくれて青山通りに汚いものを吐き出していたどうしようもない男のわりに、自分でもよくできたと思う。だが、愛犬が亡くなって1ヶ月にも思える1週間が過ぎ、また1週間が過ぎて、やってきたのはとてつもない喪失感と空虚、そして自分が「クソ野郎」だという真実だった。
愛犬がこの世を去って、はじめにやったのは遺影写真となる写真をレタッチしたことだった。その次にしたのは、15年間撮ってきた愛犬の写真の中からいくつかピックアップして銀塩プリントに出すこと。1点選んではプリント用に色補正してLサイズに自分でレイアウトしたフォーマットに入れていく。それは思いのほか大変な作業で、自分の悲しみを緩和するのに大いに貢献してくれた。注文した写真が届くのを待てなくて何度かインクジェットのプリントを試したが、デジタルデータを元にしていてもやはり銀塩プリントの方が階調がなめらかで気持ちいい。届いた112枚の写真をさらに選別してキッチンに設置したボードに貼る。時間が経てば何でもかんでもすぐに忘れてしまうのだ。写真を貼り出したのは、愛した犬の記憶を何度も反復して、可能な限り忘れたくなかったからだ。何年も前に自分が撮った写真を観ながら、何度も泣く。写真を観て泣くのは初めての経験だ。心の底からいい子だったなとか、苦手な動画をもっと録っておけばよかったなとか、そんなことを思いながら結局涙が出る。しかし、そんな日々は永遠に続くはずがない。その後に続くのは、意外に早い日常への復帰と、どうしようもない自分への憤りだ。
自分の過去の行動を悲観するのは意味がない。よく考えれば誰だって「クソ野郎」なわけだから、えなりかずきの代名詞「だってしょうがないじゃないか」や、相田みつをの名作「人間だもの」に納得して諦めるしかないのだ。友人をいじめ、母親を罵倒し、恩師を裏切り、他人を蹴落とし、年配に説教し、平然と人を傷つけてきたクソ野郎にとって、暮らしを共にしてくれた妻と犬たちには感謝しかない。クソ野郎にとって感謝とは礼儀ではなく、心の底から情けなく響く「許しを求める小さな叫び」なのだ。
もう10年近く経つが、僕のせいで妻が体調を崩してしまい、一切アルコールを受け付けない体になってしまった。1適も飲めないわけじゃないが、ダメージが大きいのだ。アルコールが復活することはないだろう、そう思ってきたが愛犬の死去でよくも悪くもあっさりと復活してしまった。能の動きを緩めないと耐えられないと思ったのだろうか。僕はまた、あの頃のクソ野郎に戻ってしまうのだろうか。
愛犬については、昔懐かしのコミック「北斗の拳」の名セリフのごとく「一片の悔いなし」と言えるほど愛情を注いできたつもりだ。だが、過去を振り返れば、すがるように見つめる我が子を横目で見ながら「面倒くさいな」「仕事してるからあっち行ってろ」「今日はマシマシでウザいね」と無視することも数多くあった。そこら辺が、どんなに頑張っても「クソ野郎」の限界だったのかもしれない。自分の仕事や感情よりも遥かに価値のあるものがある。そんなことはわかっていながらも1mmも行動できなかった。だが、それはそれで諦めるしかない。何たってクソ野郎なわけだから。どんなにコンプライアンスを厳守している人でも、人である以上殺傷をはじめ様々な罪を犯している。それに気づいているか、気づかずに平然と生きているか、その差でしかない。結局のところ、僕と同じ「クソ野郎」であることには違いない。人は誰でもどうしようもなく「クソ野郎」だ。だから、結局、できることをするしかない。どうせ「クソ野郎」なら少しだけ素敵な「クソ野郎」になるまでだ。
まだ、写真に没頭する気になれない。このWEBサイトも続けていくのかどうかわからない。クソ野郎が心底クソ野郎だと気づいた後に、どんな写真を撮れるのか。いまは、まだわからない。
このページの撮影機材
LEICA M11
OLYMPUS
PEN-F
LEICA
Summicron 50mm F2.0 Collapsible
Voigtlander
APO-SKOPAR 90mm F2.8
-
写真集「BLUE heels」
¥1,100 -
写真集「Nostalgia」
¥1,100 -
写真集「植物美術館」
¥1,100 -
写真集「花美 1」
¥1,100 -
写真集「花美 2」
¥1,100 -
写真集「花美 3」
¥1,100
column
- 2024.10.30レンジファインダーとの和解
- 2024.10.10黒潰れと白飛びの世界
- 2024.09.06モノクロ写真の追求
- 2024.07.23身軽なハンター Eureka 50mm
- 2024.06.28記録の写真
- 2024.06.01「P」「S」「A」モードの疑問
- 2024.05.11言葉にできない写真
- 2024.03.28強い者たちの正義
- 2024.02.25少数派に優しい Nikon Zf
- 2024.02.0135mm 凡庸者の可能性
- 2023.12.20それをする意味
- 2023.12.15テクノロジーと人の関係
- 2023.11.06Super Takumar 50mm F1.4
- 2023.09.03クソ野郎が撮る写真
- 2023.06.22花を撮る理由
- 2023.05.10写楽の日々
- 2023.03.21楽しい中望遠 APO-SKOPAR 90mm
- 2023.02.09太陽を撮る快楽
- 2023.01.13行ったり来たりの軌跡
- 2022.11.22タスクの向こうに幸福はない
- 2022.11.03LEICA M11の馬鹿ヤロウ
- 2022.09.20狙い通りに的を射る
- 2022.08.13LEICA M11と10本のレンズ
- 2022.07.08人知れず開催される「植物美術館」
- 2022.06.18日本人の遺伝子と「茶の道」
- 2022.06.07LEICA M11
- 2022.05.16写真の構図
- 2022.04.13NOKTON F1.5と50mmを巡る旅
- 2022.03.17脳とモラルのアップデート
- 2022.03.08海へ
- 2022.02.28世界の大きさと写真の世界
- 2022.01.29写真集をつくる
- 2021.12.31フィルム撮影の刺激
- 2021.11.29絞って撮るNokton Classic 35mm
- 2021.10.27時代遅れのロックンロール
- 2021.09.23雨モノクロ沈胴ズミクロン
- 2021.09.13拒絶する男
- 2021.08.22過去からのコンタクト
- 2021.07.26スポーツと音楽と写真
- 2021.07.19マイクロフォーサーズの魅力 2021
- 2021.06.24小さきもの
- 2021.05.26現実と絵画の間に
- 2021.05.11脳と体で撮る写真
- 2021.04.26理解不能なメッセージ
- 2021.04.03とっておく意味
- 2021.03.11モノクロで自由になる感性
- 2021.03.04もう恋なんてしない
- 2021.02.19ギリキリでスレスレへの挑戦
- 2021.02.09人間は動物よりも優れた生きものか?
- 2021.01.18写真の中のハーモニー
- 2020.12.24遠くへ
- 2020.12.11モノクロの世界と15mm
- 2020.11.06現像の愉しみ
- 2020.10.15ずっと使えそうなカメラ SONY α7S
- 2020.09.21写スンです GIZMON 17mm
- 2020.09.01矛盾ハンター
- 2020.07.29朽ちていくもの
- 2020.07.23花とペンズミ中毒
- 2020.07.15無駄に思えるプロセスは報われる
- 2020.06.24ズミタクマクロ
- 2020.06.19森へ
- 2020.05.25大人の夜の快楽
- 2020.05.04見直しと修正の日々
- 2020.04.13AM5:00の光と濃厚接触
- 2020.03.24何だってよくない人のPEN-F
- 2020.03.05濃紺への憧れ
- 2020.02.20NOKTON Classic 35mmとの再会
- 2020.02.15写真に写るのは事実か虚構か
- 2020.01.22流すか止めるか
- 2020.01.17ローコントラストの心情
- 2019.12.19後悔と懺悔の生きもの
- 2019.12.10飽きないものはない
- 2019.11.15小さな巨人 X100F
- 2019.10.24F8のキャパシティ
- 2019.10.05愛せる欠点とM-Rokkor40mm
- 2019.09.23植物採集の日々
- 2019.09.0263歳のキヤノン50mm
- 2019.08.22それは いい写真か悪い写真か
- 2019.08.14近くから遠くへ
- 2019.07.29雨を愛せる人になりたい
- 2019.07.081度しか味わえないその時間
- 2019.06.2465年前の古くないデザイン 1stズミクロン
- 2019.06.12街のデザインとスナップ写真
- 2019.05.15空の青 思い描く青空
- 2019.05.03近くに寄りたい欲求
- 2019.04.24変わらないフォーマット
- 2019.04.13常識と非常識の選択
- 2019.04.03ノーファインダーの快楽
- 2019.03.21ライカのデザイン
- 2019.02.26飽きないものの価値
- 2019.01.30NOKTON Classic 35mm
- 2019.01.17光と影のロジック
- 2019.01.01終わりに思う 始まりに思う
- 2018.12.17Takumarという名の友人
- 2018.12.06普通コンプレックス
- 2018.11.30季節を愛でる暮らし
- 2018.11.27失敗しない安全な道
- 2018.11.09終わりのない旅
- 2018.11.01M-Rokkor 28mmの底力
- 2018.10.19M-Rokkor 28mmの逆襲
- 2018.10.05焦点と非焦点
- 2018.09.26夜の撮影 α7R2 vs PEN-F
- 2018.09.18いま住んでいる場所が終の棲家になる
- 2018.09.10強烈な陽射しと夏のハラスメント
- 2018.08.30現役とリタイアの分岐点
- 2018.08.21過去との距離感
- 2018.07.10本来の姿とそこから見える景色
- 2018.06.16花の誘惑 無口な美人
- 2018.05.15欲望の建築とジェラシー
- 2018.04.14朝にしかないもの
- 2018.03.28過去の自分を裏切って何が悪い
- 2018.03.18夫婦とか家族とか
- 2018.03.01固定概念から自由になるための礎
- 2018.02.15ディテールを殺した写真
- 2018.02.07劣化することは悪いことだろうか?
- 2018.02.03マイクロフォーサーズの魅力
- 2017.12.27日本人は写真が好きな人種だと思う
lens
- LEICA Summicron 50mm F2 1st Collapsible
- Thypoch Eureka 50mm F2
- MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8
- MINOLTA M-Rokkor 40mm F2
- MINOLTA MD Rokkor 50mm F1.4
- Voigtlander SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 Ⅲ
- Voigtlander COLOR-SKOPAR Vintage Line 21mm F3.5
- Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 Ⅱ MC
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 SC
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 E-mount
- Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC
- Voigtlander NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical II MC
- Voigtlander APO-SKOPAR 90mm F2.8
- PENTAX Super Takumar 50mm F1.4
- PENTAX Super Takumar 55mm F1.8
- PENTAX SMC Takumar 200mm F4
- Nikon Nikkor-H Auto 50mm f2
- Nikon Ai Micro-Nikkor 55mm f/2.8S
- CANON 50mm F1.8 Ⅱ
- CANON 100mm F3.5 Ⅱ
- ZEISS Planar T*2/50 ZM
- GIZMON Wtulens 17mm F16
- OLYMPUS M.ZUIKO 12mm F2.0
- OLYMPUS M.ZUIKO 25mm F1.8
- OLYMPUS M.ZUIKO 40-150mm F4.0-5.6R
- LUMIX G VARIO 100-300mm F4.0-5.6 Ⅱ
- All Photograph