脳とモラルのアップデート

2022.03.17PHOTOGRAPH and WOLF

OLYMPUS PEN-F /PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

SMSの広告でユニセフがウクライナ募金を募っていたので、少額ながら小銭を寄付した。連日ウクライナの戦況が報じられているが、ロシアとウクライナにどんな未来が待っているのだろう。大規模な戦争を回避するため他国からの武力行使は期待できない以上、世界中でロシア内部の変革を望んでいるが、実際のところどんなシナリオが存在しているのか我々のような普通の人が知る由もない。日本ではロシアは侵略者でウクライナは被害者というのが一般的な見解で、暴走してるようにも思えるプーチンを誰か止めてくれと多く世界中の人が願っている。プーチンは本当に異常なのか?ロシアの侵略行為は悪なのか?

OLYMPUS PEN-F /PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

善悪の境界線が実はものすごく曖昧なことにほとんどの人は気づいていない。外を歩いていてたまらなく臭いウンチを踏んでしまったら靴についた強烈な匂いで気づくはずだが、いい悪いの境界線は無味無臭な澄んだ空気のようにサラッと潜んでいて普段気にすることもない。そう、実に「わかりにくい」のだ。かつて全世界で戦争があって多くの若者が自国の利益のために戦った。ライフルでも戦車でもミサイルでも信じられない数の殺戮が実行され、自国が勝つと司令官は英雄に、負けると戦犯として罰を受けた。殺すという行為はまったく同じ、立ち位置によって善悪が決まる。銃を持った盗人がやってきてそれに反撃して銃で撃ち殺すのはオッケーという法律、殴るのはいいけどナイフで刺したらアウト、爆弾で人を殺すのはいいけど生物兵器は倫理違反、デモ隊を10発殴っても許される警官、犯人を追いかけるとき他人の車を強引に奪って疾走するドラマのヒーロー、善悪の分岐をわかりにくくしている事例は数えたら切りがない。あれ?何かおかしいな、と気づく人が正常な人だ。人の世界では善悪の基準がひどく曖昧なのだ。法律や規則はその曖昧さをできるだけ明確なものにしようというチャレンジだが決して万能ではない。多くの場合、その行為を「程度」で判断して処理している。オフィスでの禁断の会話「きみ、彼氏いるの?」も年1回くらいなら大目に見てもらえるが、日に10回となると完全にセクハラ訴訟問題に発展しまう。何でもかんでも程度の問題か?と失笑してしまいそうになるが、まぁ、それが、現実的な落とし所なのだろう。事象ではなく数や量や質で線を引くのは、ベストではないが賢明とも言える。

SONY α7S / MINOLTA MD Rokkor 50mm F1.4

いいのか悪いのかわからないまま日々を過ごすのはつらい。ルールや基準を持たないまま突き進んでいたら、「今日はいい1日だった」なんてことは決して思えず、いつの日かメンタルが崩壊してしまうかもしれない。だから、他人が考えた一般的なルールと、自分で決めた個人的なルールを軸に善悪を決定していく。社会との繋がりだけでなく、自分の健康やライフスタイルについてもある程度ルールがあった方が楽だ。ルールとはつまり「体のために朝起きたらストレッチしよう」とか「人の悪口は言わないでおこう」とか、そういった細々した事柄の集合である。写真を撮影するときの個人的なルールも、ないよりあった方が助かる。モノクロしか撮らないとか、美人しか撮らないとか、そういうシンプルかつ明確な主義でなくても、ささやかでもいいから何かしら主義やルールを持っておくと、余計な葛藤に振り回されなくてすむ。いいとか、悪いとか。それは本来曖昧で掴みどころのないものだか、自分なり線引して進んだ方が葛藤から自由になれる。心地よい制限の質を持続させるためには、主義やルールのアップデートが必要だ。毎年ガラッと変えるわけではない。自分の成長に合わせて、少しずつ変化させていくのだ。いままで何となく避けてきた表現をしてみる。普段撮らない時間帯に写真を撮ってみる。そういうことでも自分のルールはアップデートされていく。Aばかりだった自分が、B、C、Dと違ったものに触れてみて価値観が変化することもあれば、そういった経験を経てやはりAに戻ってくるということもある。結局のところAじゃねぇか、とも言えない。B、C、Dを経験したAとそうでないAとでは、同じAでもクオリティがまったく違うのだ。

SONY α7S / MINOLTA MD Rokkor 50mm F1.4

SONY α7S / MINOLTA MD Rokkor 50mm F1.4

ロシアとウクライナ、ルールを無視しモラルに欠けているのはどちらか?それは遠くの我々が客観的に見ると明白に思えるが、もっと客観的に「人間ってさ」という視点で見ると、人のモラリティがひどく曖昧なことに気付かされる。うちが良ければ他はどうでもいいという根本的なスタンスは、外交もビジネスも友情も個人も同じように根付いていて、世界大戦時代どころか数千年前から人のモラリティはそんなに変わっていないのかもしれない。これは過度に嘆くことではなく、人の「限界」なのかもしれない。そういう宿命と折り合いをつけるためにもアップデートは必要だ。しかし、まぁ、皮肉な話だが、政治家が安易に高齢者に5,000円をバラ撒こうとしている最中、我々普通の人は遠い国のために5,000円寄付しているのだ。いっそのこと、世界中から集めた莫大な寄付金を、様々な交換条件と共にロシアに寄付したらどうかと思ってしまう。世界のトップ達に世界平和というモラルが少しでもあれば、そういうアイデアがきっと生まれてくるはずだ。

写真集販売PHOTOBOOK WOLF