63歳のキヤノン50mm
2019.09.02PHOTOGRAPH and WOLF探しものがあってふらふらっとカメラ店へ入り、思わぬ買いものをしてしまった。1956年発売のオールドレンズ「CANON 50mm F1.8 II」である。経年劣化でレンズがバルサム切れにより曇り、クッキリとした描写は望めない状態だった。レンズも人も経年劣化には逆らえない。何枚か試しに撮ってみると、レンズが曇っているお陰で、予想通り霧がかったようなノスタルジックな雰囲気に。元々しっかりとした描写をする傾向があるようで、ある意味不良なレンズでも買ったのは現像次第では面白い絵になるんじゃないか、という目論みである。バルサム切れはいいとして、それ以外の部分はキレイにしとこうと分解掃除する。そこで事件が…。何とバルサム切れだと思われていた部分が、キレイになってしまったのだ。それにより霧がかった独特の世界が消え去り、コンディションのいいレンズに生まれ変わってしまったのだ。嬉しいような、悲しいような…。まあ、いいじゃないですか。僅か数千円でとてもいいレンズが手に入ったのだから。
ライカLマウントの爺さんレンズを、LMリングとヘリコイド付アダプターを使ってα7Sにつける。開放でも嫌な滲みは少なく割と安定している。フォーカスリングにレバーがついているのでピント操作はしやすい。写り加減は柔らかくマイルド。オールドレンズの破綻具合はしっかりとあるが、戦後間もない時代の製品と考えると、これだけきちんと撮れるのは大したものだなと思う。現行のレンズではなくオールドレンズを選択する理由は人それぞれかもしれない。その持ち味はレンズによって多少違ってくるようが、昔のレンズなのでどれもこれもシャープに撮れない。淀みないシャープさを求めるなら、現行のツァイスかオートフォーカスのレンズを選んだ方がいいのかもしれない。CANON 50mm F1.8 Ⅱもオールドレンズの例にもれずシャープさとは無縁のようだ。開放近くでピントが合うのは中央部だけで、それ以外はあっさり像が破綻して壊れる。絞って撮っても、甘さが残る。少しくらい像が破綻してもいい雰囲気を出してくれるなら悪くない。でも露骨に破綻しすぎると、あまりよろしくない。そういう意味でこのレンズは長所と短所のバランスがいい。レンズに限らず、長所と短所は相対的な関係にある。魅力的な長所を望むなら、もれなくついてくる短所を受け入れなければならない。
光の状態がよければ、モダンな雰囲気にも撮れる。足腰がふらついた年寄りレンズで撮ったものを、シャキっと背筋が伸びた写真に仕上げるためには、現像の技術が必要だ。10年以上前にクリエイティブ仕事の醍醐味を「あるものを継承しながら、ないものを加えて新たな可能性をつくりだす。」と定義したことがあった。かれこれ四半世紀ほどグラフィックデザイナーという仕事をしているが、ビジネスにおけるグラフィックデザイナーの役割は、そういうことだと今でも思っている。まったく新しい「創造」よりも、過去の財産を活かしつつ、未来の可能性を拡げることが求められる。オールドレンズとの付き合いは、それと近いものを感じている。そのままでは、ただ古いもの。しかし、デジタルカメラや現像の技術と合わせることで、昔は難しかったことが今なら楽しむことができる。昔の道具を使ってバーチャルな郷愁に浸るだけでなく、現代の感性を満足させるには技術が必要だ。
63年も前というと写真機材はとても高級品で、このレンズも1ヶ月分の給料が吹っ飛ぶほど値段が高かったようだ。マーケットのほんの一部ではあるものの、いまだにこうして使ってもらえるこのレンズは、ある意味幸せモノなのではないだろうか。ついつい、給料が極端に下がってもなかなか使ってもらえない現在の60歳オーバーの人たちのことを考えてしまう。年金は頼りにならない。貯金は子供たちに全部使ってしまった。数少ない働き口は激しい争奪戦だ。大きなお世話だが、厳しい現状である。雇う方だって、本音を言えば高齢者を雇う余裕などない。元気に長生きして、年金を長く受給する老人は日本のお荷物だ。そう考えると我々が年老いて社会の足を引っ張る年齢になったとき、何かしら人を楽しませる価値を持っていることが重要だと思う。ただ単に老いたものに価値はない。63年前につくられたキヤノンのレンズが、どう僕を楽しませてくれるのか。とても楽しみだ。
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- OLYMPUS M.ZUIKO 25mm F1.8
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