スポーツと音楽と写真
2021.07.26PHOTOGRAPH and WOLFオリンピックが微妙な空気を引きずりながら、ヨタヨタっと開催された。どんな状況だろうと誰が何を言おうと何が何でもやってしまわないといけない本当の理由を、我々が知ることはないだろう。でもまぁ、せっかく自分の国でやってるんだから少しくらい見てみるか、そう思ってテレビをつける。スポーツ観戦はあまり好きじゃない。知人の影響でテニスやボクシングを録画して観たことはあるが、長続きしなかった。スポーツマンではないが体を動かすのは好きな方だ。だが「スポーツ観戦」がどうにもしっくりこないのは何故だろう。超人的なアスリートが競技で競い合う割に比較的地味で淡白な映像をぼんやり観ながら、そんなことを考えていた。
格闘技の柔道、スピードの競泳、球技のバトミントン。スポーツは種目でやってることや見え方がまるで違うが、観ていて同じような疑問を抱く。「あれ?もしかしてこれはショーではないのかも…」競技であってショーではない、つまり人に観せるということが主軸になっていないという意味だ。そうか、だからか…。そう1人で納得した。もちろんスポーツ観戦は娯楽としてマーケットが成立しているものだが、映画や音楽のように人に観せる、あるいは聴かせることを前提に設計されたものではない。実は観る人がいなくても成立する、それがスポーツだ。どこかの誰かが言うような「スポーツで世の中を元気に」というのも、スポーツを振興するならわかるが、スポーツ観戦で元気になることなどありえない。競技を観て感動するのはファインプレーがあるからで、勝ちにこだわったエンタメ性の薄いプレーに心が震えるわけがない。オリンピックでは他のイベントよりもより一層勝ちにこだわることになるから、プレーは更にクールになるばずだ。例えば有名な写真家が写真を撮っている映像があったとして、それを観て「おおっ」とか反応するのは写真オタクの我々だけで、普通の人はそんなものを観ても元気になるわけがないのだ。親戚とか知人とか同じスポーツの経験者とか選手のファンだとか、何かしら繋がりがないと観ていても面白くない。そもそもショーではないから、面白くある必要もないのかもしれない。実際にはスポーツ観戦で世の中を元気にするのは難しく、そういう言い回しはビジネスの言い訳でしかない。
スポーツ選手も音楽家も、人を感動させたいとか元気になってほしいという美しい心でそれを始めることなどないと思う。ほとんどの場合は「自分が楽しいから」ではじまり「私ってスゴくない?」と気づき、並々ならぬ努力を積み重ねて行き着く先は「私ってマジ鼻血出るほどスゴくない?」で、結局のところ知らない誰かのために練習に邁進するスポーツ選手などいない。(多分)貧富の差が大きい国では、貧困から抜け出すためにという理由でスポーツを選んだ選手もいるが、それにしても自身や家族の利益を追い求めているだけで、そういう活動を他人が観て感動するというのも少々無理がある。音楽をやってる人も「私って」というのは同じだと思うが、スポーツとまったく違うのは自分ではない誰かに聴かせることが前提となっていることだ。スポーツ選手が立つ場所は戦争と同じく勝敗を争う競技場、音楽家が立つ場所は人を楽しませるためにつくられたステージで、その成り立ちがまったく異なる。スポーツ観戦を一方的に批判するつもりはないが、つらい時代に人を元気にしたり感動させるのは、スポーツ観戦ではなく音楽や芸能の方がはるかに向いていると言いたいのである。スポーツは清く、芸能は邪悪、といった根拠のないイメージがあって音楽をはじめ様々な芸能が自粛させられているが、それで本当にいいのだろうか?どうせ世界規模のイベントをやるなら、世界のビッグネームが集結して1週間ぶっ通しで最高の音楽番組を配信してくれたら、困窮した世界中の人々に間違いなく元気を与えられるんじゃないかな。
こういう冷めた考え方で物事を捉えてしまうのは自分が年寄りだからかもしれない。しかし、最近の10代、20代は我々よりも賢そうだから「スポーツが人々を元気にする」という根拠のないお決まりの文句の違和感に、すぐに気づいてしまうんじゃないかな、と思う。スポーツ観戦よりも音楽鑑賞の方が間違いなく多くの人に元気と勇気を与えてくれるだろう。じゃあ、写真はどうなんだろう?写真は元気と勇気を与えてくれるだろうか?
このページの撮影機材
SONY
α7S(ILCE-7S)
OLYMPUS
PEN-F
LEICA
Summicron 50mm F2.0 Collapsible
Voigtlander
SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 Ⅲ
Voigtlander
NOKTON Classic 35mm F1.4 SC
MINOLTA
M-Rokkor 28mm F2.8
MINOLTA
M-Rokkor 40mm F2
Hawks Factory
Adapter
-
写真集「BLUE heels」
¥1,100 -
写真集「Nostalgia」
¥1,100 -
写真集「植物美術館」
¥1,100 -
写真集「花美 1」
¥1,100 -
写真集「花美 2」
¥1,100 -
写真集「花美 3」
¥1,100
column
- 2024.10.30レンジファインダーとの和解
- 2024.10.10黒潰れと白飛びの世界
- 2024.09.06モノクロ写真の追求
- 2024.07.23身軽なハンター Eureka 50mm
- 2024.06.28記録の写真
- 2024.06.01「P」「S」「A」モードの疑問
- 2024.05.11言葉にできない写真
- 2024.03.28強い者たちの正義
- 2024.02.25少数派に優しい Nikon Zf
- 2024.02.0135mm 凡庸者の可能性
- 2023.12.20それをする意味
- 2023.12.15テクノロジーと人の関係
- 2023.11.06Super Takumar 50mm F1.4
- 2023.09.03クソ野郎が撮る写真
- 2023.06.22花を撮る理由
- 2023.05.10写楽の日々
- 2023.03.21楽しい中望遠 APO-SKOPAR 90mm
- 2023.02.09太陽を撮る快楽
- 2023.01.13行ったり来たりの軌跡
- 2022.11.22タスクの向こうに幸福はない
- 2022.11.03LEICA M11の馬鹿ヤロウ
- 2022.09.20狙い通りに的を射る
- 2022.08.13LEICA M11と10本のレンズ
- 2022.07.08人知れず開催される「植物美術館」
- 2022.06.18日本人の遺伝子と「茶の道」
- 2022.06.07LEICA M11
- 2022.05.16写真の構図
- 2022.04.13NOKTON F1.5と50mmを巡る旅
- 2022.03.17脳とモラルのアップデート
- 2022.03.08海へ
- 2022.02.28世界の大きさと写真の世界
- 2022.01.29写真集をつくる
- 2021.12.31フィルム撮影の刺激
- 2021.11.29絞って撮るNokton Classic 35mm
- 2021.10.27時代遅れのロックンロール
- 2021.09.23雨モノクロ沈胴ズミクロン
- 2021.09.13拒絶する男
- 2021.08.22過去からのコンタクト
- 2021.07.26スポーツと音楽と写真
- 2021.07.19マイクロフォーサーズの魅力 2021
- 2021.06.24小さきもの
- 2021.05.26現実と絵画の間に
- 2021.05.11脳と体で撮る写真
- 2021.04.26理解不能なメッセージ
- 2021.04.03とっておく意味
- 2021.03.11モノクロで自由になる感性
- 2021.03.04もう恋なんてしない
- 2021.02.19ギリキリでスレスレへの挑戦
- 2021.02.09人間は動物よりも優れた生きものか?
- 2021.01.18写真の中のハーモニー
- 2020.12.24遠くへ
- 2020.12.11モノクロの世界と15mm
- 2020.11.06現像の愉しみ
- 2020.10.15ずっと使えそうなカメラ SONY α7S
- 2020.09.21写スンです GIZMON 17mm
- 2020.09.01矛盾ハンター
- 2020.07.29朽ちていくもの
- 2020.07.23花とペンズミ中毒
- 2020.07.15無駄に思えるプロセスは報われる
- 2020.06.24ズミタクマクロ
- 2020.06.19森へ
- 2020.05.25大人の夜の快楽
- 2020.05.04見直しと修正の日々
- 2020.04.13AM5:00の光と濃厚接触
- 2020.03.24何だってよくない人のPEN-F
- 2020.03.05濃紺への憧れ
- 2020.02.20NOKTON Classic 35mmとの再会
- 2020.02.15写真に写るのは事実か虚構か
- 2020.01.22流すか止めるか
- 2020.01.17ローコントラストの心情
- 2019.12.19後悔と懺悔の生きもの
- 2019.12.10飽きないものはない
- 2019.11.15小さな巨人 X100F
- 2019.10.24F8のキャパシティ
- 2019.10.05愛せる欠点とM-Rokkor40mm
- 2019.09.23植物採集の日々
- 2019.09.0263歳のキヤノン50mm
- 2019.08.22それは いい写真か悪い写真か
- 2019.08.14近くから遠くへ
- 2019.07.29雨を愛せる人になりたい
- 2019.07.081度しか味わえないその時間
- 2019.06.2465年前の古くないデザイン 1stズミクロン
- 2019.06.12街のデザインとスナップ写真
- 2019.05.15空の青 思い描く青空
- 2019.05.03近くに寄りたい欲求
- 2019.04.24変わらないフォーマット
- 2019.04.13常識と非常識の選択
- 2019.04.03ノーファインダーの快楽
- 2019.03.21ライカのデザイン
- 2019.02.26飽きないものの価値
- 2019.01.30NOKTON Classic 35mm
- 2019.01.17光と影のロジック
- 2019.01.01終わりに思う 始まりに思う
- 2018.12.17Takumarという名の友人
- 2018.12.06普通コンプレックス
- 2018.11.30季節を愛でる暮らし
- 2018.11.27失敗しない安全な道
- 2018.11.09終わりのない旅
- 2018.11.01M-Rokkor 28mmの底力
- 2018.10.19M-Rokkor 28mmの逆襲
- 2018.10.05焦点と非焦点
- 2018.09.26夜の撮影 α7R2 vs PEN-F
- 2018.09.18いま住んでいる場所が終の棲家になる
- 2018.09.10強烈な陽射しと夏のハラスメント
- 2018.08.30現役とリタイアの分岐点
- 2018.08.21過去との距離感
- 2018.07.10本来の姿とそこから見える景色
- 2018.06.16花の誘惑 無口な美人
- 2018.05.15欲望の建築とジェラシー
- 2018.04.14朝にしかないもの
- 2018.03.28過去の自分を裏切って何が悪い
- 2018.03.18夫婦とか家族とか
- 2018.03.01固定概念から自由になるための礎
- 2018.02.15ディテールを殺した写真
- 2018.02.07劣化することは悪いことだろうか?
- 2018.02.03マイクロフォーサーズの魅力
- 2017.12.27日本人は写真が好きな人種だと思う
lens
- LEICA Summicron 50mm F2 1st Collapsible
- Thypoch Eureka 50mm F2
- MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8
- MINOLTA M-Rokkor 40mm F2
- MINOLTA MD Rokkor 50mm F1.4
- Voigtlander SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 Ⅲ
- Voigtlander COLOR-SKOPAR Vintage Line 21mm F3.5
- Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 Ⅱ MC
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 SC
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 E-mount
- Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC
- Voigtlander NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical II MC
- Voigtlander APO-SKOPAR 90mm F2.8
- PENTAX Super Takumar 50mm F1.4
- PENTAX Super Takumar 55mm F1.8
- PENTAX SMC Takumar 200mm F4
- Nikon Nikkor-H Auto 50mm f2
- Nikon Ai Micro-Nikkor 55mm f/2.8S
- CANON 50mm F1.8 Ⅱ
- CANON 100mm F3.5 Ⅱ
- ZEISS Planar T*2/50 ZM
- GIZMON Wtulens 17mm F16
- OLYMPUS M.ZUIKO 12mm F2.0
- OLYMPUS M.ZUIKO 25mm F1.8
- OLYMPUS M.ZUIKO 40-150mm F4.0-5.6R
- LUMIX G VARIO 100-300mm F4.0-5.6 Ⅱ
- All Photograph