AIとマイノリティの敵対関係

2026.08.16PHOTOGRAPH and WOLF

OLYMPUS F.ZUIKO auto-s 50mm F1.8で撮影した写真01

SONY α7CII / OLYMPUS F.ZUIKO auto-s 50mm F1.8

教科書通りにとか、規定通りにとか、そういう考え方が嫌いだ。一般的に常識と言われることや何十年も続いてきた慣習を前にすると「本当にそれでいいのか?」とすぐに思ってしまう。それはもう、クセのようなものだ。僕のような輩はきっと、罰則がなく人様にも迷惑をかけないなら法律など守らない。他人が決めた不合理なルールには従いたくないが、罰をくらうと面倒なので仕方なく従っているのだ。

生成AIが優秀になって僕のようなグラフィックデザインを仕事にしている人間も少なからず恩恵を受けている。調べものや辞書的な役割からWEBのコーディングや表計算といった実務まで、しっかりちゃっかりAIのお世話になっている。いやぁ便利になった、マジで快適になったねと喜んでいるオジサンは多いことだろう。いままで何倍も時間をかけてやっていたことが、短時間で片付いてしまう。若い人なら「AI?だから何?」という感じで大した驚きはないのかもしれないが、汗水垂らしてタスクと闘ってきたオジ連中からすると、インターネットが登場した時と同じくらいのインパクトがあるのだ。

OLYMPUS F.ZUIKO auto-s 50mm F1.8で撮影した写真02

SONY α7CII / OLYMPUS F.ZUIKO auto-s 50mm F1.8

OLYMPUS F.ZUIKO auto-s 50mm F1.8で撮影した写真03

SONY α7CII / OLYMPUS F.ZUIKO auto-s 50mm F1.8

AIを使いだすと手放せなくなる。一方で欲しい情報が手に入りやすくなるので、AIばかり使っていると想像力を使う機会を失ってしまう。だから場合によっては意識的にAIに手を伸ばさず、あえて自力で何とかしようとする。そういう判断も大切だ。少し前にnoteを始めた。始めた、というよりは試しに書いてみた、という感じだ。AIにどんな感じに書くのがいいのか質問すると、AIが引用しやすいように思わせぶりなタイトルはつけずに具体的で誰でもわかるものにしろ、冒頭の最初に結論を書け、目次を入れろ、最後に「まとめ」を書けと回答がある。これはつまりnoteでアクセスを稼いだ人の参照であり統計である。確かに似たようなブログを何度も目にしたことがある。僕からすると、そんなブログは死んでも書かんぞバカ野郎デジタル野郎である。反感を恐れずに言うなら、そういう代物は掃いて捨てるほどあるし、自身の考えや文脈がそこにあるわけがない。人の歩いた足跡を丁寧になぞる生き方はしたくない。noteとかインスタとか、いいねやフォローがある世界ではどうしてもそういうベクトルが満ちている。主義や趣向を放棄して成功例のフォーマットに則していこうというベクトルである。誰かの真似をすることを否定するつもりはないし、人類の歴史を見ると人種を問わず真似や模倣で発展してきた事実がある。だが、100人中80人がやってる方向に対して「俺もやろう」という気持ちにどうもなれないのだ。たとえ失敗しても、結局同じ結末だったとしても、僕は生涯「まとめ」は書かない。

OLYMPUS F.ZUIKO auto-s 50mm F1.8で撮影した写真04

SONY α7CII / OLYMPUS F.ZUIKO auto-s 50mm F1.8

OLYMPUS F.ZUIKO auto-s 50mm F1.8で撮影した写真05

SONY α7CII / OLYMPUS F.ZUIKO auto-s 50mm F1.8

OLYMPUS F.ZUIKO auto-s 50mm F1.8で撮影した写真06

SONY α7CII / OLYMPUS F.ZUIKO auto-s 50mm F1.8

そんなひねくれ者が書いている「写真と狼」は、決してバズりはしないものの意外に多くの人が見てくれている。その多くは写真やカメラの信奉者である。しかし、この独特かつ偏屈なブログがとうとうGoogleの検索対象から除外されてしまったのだ。現在「写真と狼」と検索してもこのブログは表示されない。2026年8月現在このページを読めるのはプックマークしてくれてた超コアな方に限定されている。アクセス数をほとんど気にしていないからまったく気づかなかったが、どうやら5月くらいから除外されていたようだ。AIによると掲載されている画像が多すぎることで負荷が高いことなども原因として考えられる。他にもいくつか原因らしきものがあるが、いずれにせよGoogleにバンされた本当の理由は憶測の域を出ない。それにしてもバンするほどの話か?理由はよくわからないが「まとめ」を推奨するGoogleが悪質なサイトとした見なしたのは間違いない。検索しても辿り着けない。逆にそれで完全にダークなサイトになってしまった。デジタル野郎に除外されてしまって閉鎖的なサイトになったのだから、いっそもっと過激なことを発信しちまおうかといけない天使が囁きかけてきたが、よからぬことをすると家族に迷惑がかかるのでやめておく。

OLYMPUS F.ZUIKO auto-s 50mm F1.8で撮影した写真07

SONY α7CII / OLYMPUS F.ZUIKO auto-s 50mm F1.8

写真でできる表現は絵画でできる表現よりも範囲が狭い、そう感じることがある。独創的な写真でも結局は実際にあるものを複写するのが写真だから、現実にないものまで生み出せる絵画と比べれは確かに表現できる範囲は狭い。少しばかり上手に撮れる写真撮りが偉そうなことを言っても所詮は「コピペ」である。だが、悲観する必要はまったくない。狭く見える範囲は意外と広いのだ。例えば、僕ら日本人の認識では「日本は狭い」ということになっているが、実はイタリアの1.25倍、イギリスの1.5倍も面積がある。思い込んでいたものが実はまったく違っていたという誤解は往々にしてある。ピアノがたった88個の鍵盤であらゆる音楽を実現するように「コピペ」という限界を持った写真表現の可能性は、僕らが認識している以上に「広い」のかもしれない。

PENTAX Super Takumar 55mm F1.8で撮影した写真

FUJIFILM X-E4 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

MINOLTA M-Rokkor 40mm F2で撮影した写真

FUJIFILM X-E4 / MINOLTA M-Rokkor 40mm F2

写真表現の広さを感じるためには、経験の外に出てその広さを自分で確かめるしかない。ささやかな「未体験」や試行錯誤を少しずつ取り入れることで、あぁ、写真って色々できるねと実感することができるのだ。誰かが撮っている写真の中に何かヒントがないかな?と思うとき、SNSや教科書的なマジョリティはまったく役に立たない。自分が求める「刺激」は世間的に「マイノリティ」なのだから、一般的で王道なものが参考になるわけがない。

MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8で撮影した写真01

SONY α7CII / MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8

MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8で撮影した写真02

SONY α7CII / MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8

独特なものを目指すと大多数から好かれることがなくなる。まったく共感されないということではなく、共感される「数」が減るのだ。写真表現に限らず、ビジネスや人間関係でも同じようなことが言える。独特を求め過ぎると拒絶され、マジョリティからかけ離れたビジネスはうまくいかない。一方で無個性だと魅力が感じられないことも事実だ。マジョリティに重心がありつつマイノリティに片足つっこんでるくらいが、売れる人、売れるものの条件なのかもしれない。しかし、困ったことにAIはマイノリティを好まない。多様性を好まないのは多数と違っていると不安になる日本人の性格と同じだ。

MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8で撮影した写真03

FUJIFILM X-E4 / MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8

MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8で撮影した写真04

FUJIFILM X-E4 / MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8

MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8で撮影した写真05

FUJIFILM X-E4 / MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8

いままでWEBサイトのアクセスを稼ぐためにSEO(検索エンジン最適化)が重視されてきたが、これからはAIの回答として参照されるためのAIO(AI最適化)が重要だと言われている。まぁ、どっちも人間ではなく人工知能がやってることだ。WEBへのアクセス数が売上に直結するビジネスでは、AIに好かれるためにどんなサイトにしたらいいかを必死に模索している。AIに好かれるために?とは、少々おかしな世の中になってきたもんだ。AIのフォーマットに人間が寄り添っていたら、そのうち人間もマシンになってしまう。AIは便利だが万能ではない。子供に教えるように、AIにもマイノリティの重要性をしっかり教えておかないと、居心地の悪い世の中がとんでもなく加速する気がする。

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